la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

シュテファン・ロッホナー (絵の採掘坑 11)

ロッホナー3

ドイツ・ケルンのヴァルラフ=リヒャルツ美術館に「薔薇の園亭の聖母子」という小品があります。

亭の中に、清楚で優しい表情の聖母マリアがきりっとした表情の幼子イエスを膝に乗せて座っています。その周りをかわいらしい顔の天使たちが取り囲んでいます。

金の地に聖母の衣装の青と植物の緑が、華やかさの中に落ち着きを感じさせます。聖母子や天使たちの顔が柔らかく描かれている一方、植物は細密に描写されています。

この作品は、15世紀中葉にケルンで活躍した画家、シュテファン・ロッホナーによるものです。

ロッホナーは1400年頃南ドイツのボーデン湖に面するメールスブルクに生まれ、ネーデルラントへ遍歴修業に出た後、ケルンを活動の場として選び定住しています。ケルン市の画家組合を代表する市の参事会員も務めています。

以前、上部ライン地方の逸名画家による「楽園の小さな庭」という作品を紹介しましたが、ロッホナーの絵はそこから30~40年後に描かれたものです。

聖母の純潔の象徴の”閉じられた庭”がこのロッホナーの作品では”薔薇の園亭”に展開されています。

同じ頃にネーデルラントで活躍したファン・デル・ウェイデンの絵からは劇的で張りつめた冷たさを感じるのに対して、ケルン派を代表するロッホナーの絵からは素朴さ、柔らかさと温かみを感じます。

ケルン派の画家は、"聖女ヴェロニカの画家"や"ウルスラ伝説の画家"というように名前が残らず、作品名で呼ばれるのが普通です。

ただ、ロッホナーの場合は、デューラーが日記の中で「ケルンのシュテファン親方の祭壇画」について触れていたことから、19世紀になって作品と名前が関連付けられ見出されるきっかけになったそうです。

1520年、デューラーネーデルラントへの旅行時にケルンに滞在し、シュテファン親方の制作した祭壇画の開扉にお金を払ったとのこと。当時は開閉式の祭壇画は通常閉じられており開扉してもらうには小銭を払う必要があったようです。

デューラーが見た祭壇画は現在ケルン大聖堂にある、三連式の「マギの礼拝」の祭壇画とみなされています。

ロッホナー

現在ケルン大聖堂にある「マギ=東方三博士の礼拝」の祭壇画は、中央パネルが約260x285cm、両翼が約261x142cmと規模の大きな作品です。閉扉時の翼画外面には「受胎告知」の場面が描かれています。

中央パネルに描かれているのは「東方三博士の礼拝」で、イエスの誕生時に東方から星の導きでやってきた三博士が聖母子に礼拝する光景が描かれています。

この三博士はケルンにとって特別の存在です。なぜなら、12世紀後半、ケルン大司教がイタリアでの戦功の褒章として、皇帝から、当時ミラノにあった三博士の聖遺物を与えられ、ケルンの大聖堂に安置されたからです。

この場面は一般的には、画面の片側に寄って位置する聖母子に対して、到着したばかりの三博士が画面の反対方向から礼拝しているように描かれるのですが、この作品では、聖母子が正面を向いて玉座に座っているため、荘厳さを増幅させているように感じられます。

聖母マリアは落ち着いた厳かな表情で、イエスを抱く手指もとても繊細です。祝福する幼子イエスも身体全体で荘厳な雰囲気を漂わせています。

一方、両翼には、初期キリスト教時代にケルンで殉教した聖者が描かれています。左翼は「聖女ウルスラとその侍女たち」が、右翼は「聖ゲレオと軍団兵士たち」です。

ケルンではこれら殉教者たちの遺物が多数発見され、ケルンの多くの聖堂に納められていました。

ロッホナーの「マギの礼拝」の祭壇画はもともとケルンの市参事会礼拝堂のために制作されたものです。そして、市参事会礼拝堂の聖遺物の大半は聖ウルスラと侍女たち並びに聖ゲレオンと軍団兵士たちのものであったそうです。

聖なる都ケルンのイメージを演出する上で、"ケルンにゆかりの両聖人に囲まれる東方三博士の礼拝"以上にケルンにふさわしい主題はないでしょう。

我がファミリーにとっては、ケルン大聖堂とロッホナーの「マギの礼拝」の祭壇画は特別な場所、特別な作品です。

ドイツで生まれた娘のお宮参りに、ケルン大聖堂を訪問し、ロッホナーの「マギの礼拝」の祭壇画の前で娘の健やかな成長をお願いしたからです。

暗い聖堂内で見上げる祭壇画は、ライトアップされて浮かび上がりとても厳かでした。

お宮参りの記念にロザリオを購入しました。

ケルン大聖堂ロザリオ