ケルン大聖堂 (永遠の場所 26)
先月(11月)のドイツ出張の折、週末にケルンに行ってきました。
ちょうどヴァルラフ・リヒャルツ美術館で、『DIE KATHEDRALE(大聖堂)』というケルンならではの特別展が開催されていたので見てみたかったのと、久しぶりにケルシュ(地ビール)を飲みたくなったこともありました。
この時期にi始まるクリスマス市は、デュッセルドルフでは前日から始まっていましたが、ケルンではまだで、ちょうど準備が佳境に入っているところでした。
何はともあれまずはケルン大聖堂に。
空の晴れ渡った天気の良い日で、午前中の日の光がステンドグラスを通して射し込み、虹色の光が聖堂の壁に落ちている様がきれいでした。
美術館に行く前に、大聖堂そばのFrueh am Domでケルシュを飲みながら軽い昼食。
Fruehは昔からお気に入りのビアホールです。
さて、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館の『DIE KATHEDRALE(大聖堂)』展ですが、ロマン派、印象派、表現主義からモダニズムまで、カテドラルを題材にした作品が数多く集められていました。
ロマン派はフリードリヒ、印象派はモネのルーアン大聖堂の連作とシスレーのモレの教会の連作、現代絵画はウォーホールのケルン大聖堂、リキテンシュタインのルーアン大聖堂など。
グルスキーというドイツの写真家の巨大なカテドラルの写真もありました。
会場のフロアの見晴らしの良い部屋にはケルン大聖堂の絵が集められていて、大きなガラス窓からはケルン大聖堂の端正な姿が側面から眺められました。
現在のケルン大聖堂は三代目の聖堂です。初代は四世紀に、二代目は818年に完成しました。
1164年に東方三博士の聖遺物(頭蓋骨)がミラノからケルンにもたらされ、この聖堂に安置されたことで、多くの巡礼者を集めてケルンは発展しました。日本ではちょうど平氏が台頭している頃ですね。
聖堂は1248年に火災で焼失。
同年に新たな聖堂がゴシック式で建設されることになったものの、規模が大きすぎて16世紀に入っても完成せず、折しも宗教改革が起こり財政難から工事は中止となりました。
19世紀に入り、ナポレオン戦争の影響でドイツにナショナリズムが高揚。
ケルン大聖堂はドイツのシンボルと考えられるようになり、ようやく1842年に建築が再開となります。
この絵はJohann Adolf Lasinskyという画家が1831年に描いたケルン大聖堂です。
南東側から見た姿ですが、正面のファサードの塔は片側の一部しかないようです。
こちらの絵には二つの尖塔を持つ正面ファサードが描かれています。現在のケルン大聖堂の姿です。
と言っても、大聖堂完成後に描かれたのではなく、Carl hasenpflugという画家によって、"理想の姿"として1834-36年頃に描かれたものです。
ケルン大聖堂再建に重要な役割を果たしたのはケルン生まれの美術商/美術史家のSulpiz Boiserée です。
彼は建物の調査を進め、オリジナル設計の重要な図面を手に入れ、それを基にした大聖堂の設計図のエッチングを出版しました。又、彼はゲーテなどの文化人やプロイセン皇太子の協力も取り付けました。
上の絵は、そのエッチング図面を参考にして描かれたものだと思います。
現在のケルン大聖堂は、1248年の着工から632年の時を経て1880年に完成しました。日本では明治13年です。
ケルン大聖堂は、平清盛の時代から明治の自由民権運動の時代までの長い時を経て、完成したということになります。
157mの高さの大聖堂は、ゴシック様式の建築物としては世界最大で、高さ169mのアメリカのワシントン記念塔が完成する1884年までは世界一の高さを誇る建築物でした。
ちなみに、バルセロナのガウディのサグラダ・ファミリア教会の着工はケルン大聖堂完成の2年後の1882年です。
美術館の入り口のロビーには、レゴでつくったケルン大聖堂が展示されていました。