la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

平等院鳳凰堂 (永遠の場所 29)

京都・奈良旅行の二日目に、昨年、平成26年10月に平成修理が終わってよみがえった宇治の平等院鳳凰堂に行ってきました。

平等院鳳凰堂は前日訪れた三十三間堂以上に国宝が揃っている場所です。

四棟で構成される鳳凰堂、本尊阿弥陀如来坐像、52体の雲中供養菩薩像、天蓋、壁壁画、鳳凰一対、梵鐘というように、建築・彫刻・絵画・工芸の幅広い分野にわたって国宝に指定されています。

鳳凰堂は初めてのを訪問。

是非とも鳳凰堂内部の拝観もしたかったので、庭園に入れるようになる8時半前をめがけて行きました。

鳳凰堂内部の拝観は20分毎一回50名の定員制で、我々は9時半からの初回分のチケットを手に入れました。

9時半までは庭園からの眺めを楽しんだり、平等院のミュージアムである鳳翔館の宝物を見学。

平等院は末法初年に当たるとされる永承7年(1052)、関白藤原頼通によって父道長の別荘を寺院に改め創建されました。

当時は末法思想が貴族、僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に流行していました。

翌年天喜元年(1053年)、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立され、それが現在鳳凰堂と呼ばれています。

入り口を進むとまず藤棚があり庭園が始まります。

庭園入口側から望む鳳凰堂。 あいにくこの日の朝は小雨の降る天気でした。

平等院鳳凰堂

鳳凰堂を正面から望みます。

平成修理によって、外観については可能な範囲で平安末期から鎌倉時代に近づいたとのこと。

今回の修理は屋根の葺き替えと外部塗装を中心とした中規模なもので、塗装については、黄土を焼いて赤色系に整えた丹土(につち)で建物の下部まで完全に塗られました。

扉や出土品に残る顔料を調査した結果、創建から江戸時代までは丹土による塗装が繰り返されてきたことがわかったとのこと。

昭和の大修理での外部塗装は鉛丹を用いた建物上半分のみの塗装だったそうです。

今回は丹土色の外部塗装に加え、屋根瓦もいぶし銀を使わない「古色仕上げ」の濃い墨色にしたことで、シックな色調の外観になりました。

平等院鳳凰堂2

庭園にところどころ置かれた鉢では蓮が花を咲かせていました。

平等院鳳凰堂 蓮の花

2001年に開館した平等院ミュージアム鳳翔館で、国宝の梵鐘、鳳凰一対、26体の雲中供養菩薩像のオリジナルを見学しました。

梵鐘はもともと池のほとりに建つ鐘楼に懸けられていましたが、大気汚染による錆害などの保存上の見地から取り外されて鳳翔館に収蔵され、鐘楼にはレプリカが懸けられています。

平安時代を代表する梵鐘の1つで、竜頭が飾られ、鳳凰や踊る天人などが描かれています。

同じく、鳳凰堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた鳳凰一対も、保存上の見地から取り外されて鳳翔館に収蔵され、新たに制作された2代目が大棟に載せられています。

平等院鳳凰堂 鳳凰

雲中供養菩薩像は、52体のうち、26体のオリジナルが鳳翔館に展示されていて、展示ガラス越しに間近に眺めることができます。

平成26年10月から12月にかけて東京国立博物館で開催された日本国宝展には2体展示されていました。

頭光(輪光)を負って飛雲に乗っているところは共通ながら、持ち物、動作は一体一体異なりそれぞれが個性を持っていて、26体をまとめて見るとそのバラエティの豊かさに驚かされます。

いずれも定朝工房で天喜元年(1053)に制作されたもので、鳳凰堂中堂内部に南北コの字形に阿弥陀如来を囲んでかけられています。

(拝観案内から)

雲中供養菩薩像 平等院鳳凰堂 

鳳凰堂の内部拝観で、本尊阿弥陀如来坐像を拝むことができました。

この阿弥陀如来像は、和様彫刻の完成者と呼ばれる仏師定朝の作であることが確実な現存唯一の仏像で、定朝が完成させた日本独自の寄木造りの造像法で作られ、平安彫刻の頂点とされています。

(拝観案内から)

阿弥陀如来坐像 平等院鳳凰堂内部 

伏し目がちで、優しく穏やかな表情をされています。

平等院鳳凰堂内部

胸をひいて背をわずかにまるめた姿勢には無理がなく、柔らかで優美な姿です。

箱型の「方蓋」と内側の「円蓋」の二重構造からなる天蓋は、唐草が透かし彫りされ、螺鈿と蒔絵と金工で装飾されてとてもきらびやか。木造というのが驚きです。

内部拝観後、鳳凰堂の正面から池越しに、改めて阿弥陀如来像を拝みました。

阿弥陀如来坐像 平等院鳳凰堂 

鳳翔館で国宝の宝物類の展示をじっくり見て、鳳凰堂内部を拝観し、改めて池越しに水面に姿を映す鳳凰堂の全容を望むと、当時の人々が鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土ととらえていた心情が伝わってきました。