la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

エジプトへの逃避 (絵の採掘坑 10)

ヨーロッパの美術館や教会を訪ねて絵を観て歩いた際に常々感じていたのは、「聖書や神話について少しの知識があるだけで絵を観る楽しみが何倍にもなる」ということでした。

本や絵の解説などを読んでも最初のうちはすぐに忘れてしまうのですが、興味を持っていれば、そのうちに「どこかで同じような絵を見たぞ」とか「さっき似たような絵の前を通った気がする」というようになり、その都度確認しているうちに、わざわざタイトルを見なくても絵の主題がわかるようになってきます。実は僕や妻もそうでした。

聖書や神話のモチーフは、数百年に亘り多くの画家によって様々に表現されてきました。

描かれた時代や画家の個性によって同じテーマでもこれほど異なるのかというぐらいバラエティに富んでいます。

19世紀20世紀の作品では一見しただけではわからないものもあり、聖書や神話の主題が裏に隠されている事実を後で知ったこともありました。

今回は、イエス・キリストの生涯を綴った新約聖書の主題から家族が描かれている「エジプトへの逃避」を取り上げ、同じ主題で複数の画家の作品を見てその表現の多様性を確認したいと思います。

「エジプトへの逃避」はキリスト誕生直後の出来事です。

ユダヤ王ヘロデは、救世主誕生を知った東方三博士の訪問を受けてイエスの誕生を知ります。

三博士の話を聞いてその子が自分の玉座を脅かすのではないかと考えたヘロデ王は、救世主出現を阻止するためにベツレヘムの二歳以下の男児をすべて殺すように命じました(幼児虐殺)。

一方、イエスの養父ヨセフの夢に天使が現れエジプトに逃れるように告げます。ヨセフはその夜のうちに幼児とマリアを伴い出立。

ヨセフの夢のおかげで「幼児虐殺」を逃れたイエスの家族がエジプトに難を逃れる場面が「エジプトへの逃避」です。

ヘロデの迫害を逃れる聖家族のエジプト行きは「マタイによる福音書」に記されていて、初期キリスト教時代の美術にも見られます。

普通ヨセフは徒歩で、キリストを抱いた聖母はロバに乗った姿で表されます。一方、その道中の棕櫚の木陰での休息の場面もよく(逃れる場面以上に)採り上げられています。

この「逃避途上の休息」は中世末期に現れた主題で、聖書には記載されていません。この主題の構成要素としては「棕櫚の木の奇跡」や「泉の奇跡」があります。

最初に取り上げたい絵は、イタリア・ウルビーノ出身の画家、フェデリコ・バロッチによる「エジプト逃避途上の休息」です。

エジプト逃避途上の休息1

頬を紅く染めふっくらとした聖母マリアはまだ幼さを残す乙女の表情で、俯いて食べ物のほうへ手をやっています。

傍らの幼児イエスはしっかりとしていて、左手をマリアの足の上に置きながら右手でヨセフから木の枝を受け取っています。

この絵のヨセフは老人ではなく壮年の頼もしい男性として描かれています。この三人の手が形作る三角形が聖母を囲みこの絵に安定感を与えています。

コレッジオから学んだとされる「ぼかし」効果が活かされ、柔らかい光に包まれた暖かい色調の家族図です。

バロッチは16世紀後半に活躍したマニエリスムから初期バロック期の画家です。

宗教画をよく描き、対抗宗教改革の時期に、民衆に語りかける信仰画の形式や形態の正確さと色彩の鮮明さによって、その精神をよく具現化したと言われています。

この絵はローマのバチカン美術館に収蔵されています。バロッチが同じように聖家族を描いた絵がロンドンのナショナル・ギャラリーにもあります。

幼い洗礼者ヨハネを含め、登場人物は皆明るく幸せな顔をしていて暖かい空気が伝わってきます。

次に取り上げるのは、バロッチの絵とは全く形式の異なる「エジプトへの逃避」です。

ネーデルランド、現在のベルギーの都市ディナンに生まれたエアヒム・パティニールによって描かれた「エジプトへの逃避のある風景」です。

エジプト逃避途上の休息2

名称の通りこれは風景画ですが、ネーデルランドとしてはかなり起伏の激しい岩山の景色が描かれています。

ヨセフは杖をついた老人の姿で前景に描かれていて、聖母と幼児イエスの乗ったロバを引いています。

そして中景の村では、兵士達が剣を抜き母親達の腕から幼児達を奪おうとする幼児虐殺の場面が描かれています。

この絵にはその他にも二つの伝説が描かれていて、一つ目は聖母達を追っ手から隠すために冬なのに畑に麦が実ったという出来事(右中景)、そしてもう一つは幼児が通過したとき異教の偶像が土台から落下したという出来事(左端中央)です。

もちろんこの絵は主題について知らなくても、聳えたつ岩山、色濃く茂る緑の樹木とその中にある農村の光景、遠くには帆船の浮かぶ海と城砦の岩山といった風景で十分楽しませてくれます。

この絵はベルギーアントワープの王立美術館にあり、そこでも観たはずなのですが、強く印象に焼き付いたのはウィーン美術史美術館で開催されたフランドル風景画展で観てからです。

17 x 21 cmの小さな絵ですが、よく見ると人や馬や町が細かく描かれていたりします。

昔、安野光雅さんの「旅の絵本」を見て、その中に描かれた名画のモチーフを見つけて喜んでいたのと同じ楽しみをこの絵の前で味わいました。

ルーカス・クラナッハも若い頃に「エジプト逃避途上の休息」を描いています。

エジプト逃避途上の休息3

彼の絵は、天使達が奏楽によって幼児イエスを慰めつつ泉から水を汲んで幼子イエスの渇きを癒したという「泉の奇跡」を主題にしています。

以前紹介した「ヨハネス・クスピニアン博士と その妻アンナの肖像」と同様、風景描写がとても瑞々しく素晴らしいです。

そしてここに描かれた樹は紛れもなくドイツのものです。

幼児イエスや天使達は皆愛らしく、聖母マリアも清楚で人間らしく描かれていますし、ヨセフもまさにドイツでよく見かける禿頭で顎鬚を生やした中年のおじさんで、全体的にとても親しみ深い絵です。

絵の中央左手下の石に、LCという署名と1504という製作年が刻まれています。この絵はベルリンの国立絵画館にあります。

最後に紹介するのは、18世紀末~19世紀初頭に活躍したドイツ・ロマン派の画家オットー・ルンゲによる「エジプト逃避途上の休息」です。

エジプト逃避途上の休息4

彼は未完に終わったライフワーク「四つの時」(朝・昼・夕・夜)で彼の神秘的な宇宙観を表現しました。

この「エジプト逃避途上の休息」も「四つの時」の朝と関連づけられていて、光、幼児、花という朝のモチーフを備えた寓意的風景画です。

遥か遠くにエジプトのピラミッドを見下ろす高台で聖家族は朝を迎えます。

上空にはまだ闇が残っていますが、画面左手から射す陽の光が聖母マリアを照らし、マリアの前に横たわる幼児イエスがその光に向かって手を伸ばしています。

焚き火に向かって座るヨセフは左前面で存在感を示しています。マリアの後ろで天へ向かって伸びる樹には白い花が咲き、天使たちが腰掛けて音楽を奏でている様子です。

未完に終わったこの絵は、ある教会から依頼された祭壇画として描かれたそうです。

ルンゲの絵は、この絵も含めほとんどがハンブルグ美術館にあります。

この美術館のルンゲの部屋には「エジプト逃避途上の休息」の他にも代表作の「朝」や彼の子供達を優しく描いた絵も飾られていて、フリードリヒのコレクションとともにこの美術館の目玉といえるでしょう。

古くは16世紀初めのものから19世紀初めのものまで、様式としてはルネサンスバロックからロマン派まで四つの作品を紹介しました。

僕にとってはそれぞれ好きなところがありいずれも甲乙つけ難いです。もちろんこの四作品以外にも、ジョット、カラヴァッジョ他多くの画家がこの主題で描いていますので、皆さんじっくりと自分のベストを探してみて下さい。

■Federico Barocci “Rest on the Flight to Egypt”, 1570

 Pinacoteca, Vatican

■Joachim Patinir “Flight into Egypt”, 1515 (17 x 21cm)

 Koninklijk Museum voor Schone Kunsten, Antwerpen

■Lucas Cranach d.A. “Ruhe auf der Flucht nach Aegypten” 1504 (70.7 x 53cm)

 Staatliche Museen zu Berlin, Preussischer Kulturbesitz, Gemaelegalerie

■Philipp Otto Runge “Die Ruhe auf der Flucht nach Aegypten”, 1805-06 (96.5 x 129.5 cm)

 Hamburger Kunsthalle