la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

風景画家 ヨアヒム・パティニール (絵の採掘坑 27)

石川美子氏の『青のパティニール 最初の風景画家』を読了しました。

”風景画家”パティニールについては十年以上前ドイツに滞在した頃から興味を持っていたものの、これまでパティニールに焦点を当てた著作を目にしたことはありませんでした。

そのため、パティニールの作品ではしばしば他の画家が人物像を担当しているという点を把握しないほど知識は乏しいままでした。

本書を目にして思わず手に取りました。

本書で紹介される研究者たち同様、パティニールの作品に魅せられた著者が、その強い探究心から、彼の作品を細部まで観察し、先人たちの文献・著作などから断片情報を拾い上げた上で推理し、幾つもの推論を提示していく筆致に引き込まれました。

そして、彼の作品並びに生涯、「風景」の発見、パティニールの”青”の世界とそこに描かれた聖人たち、そして彼の作品を収集した人たちなどについて、体系的に知ることができ、たくさんの気づきを与えてもらいました。

よくぞここまで研究してまとめて頂けたと感謝の気持ちでいっぱいです。

ドイツ滞在中、精力的に美術館巡りをしたのですが、その際に携行していた美術ガイドブック(聖書・神話のテーマ/場面毎に代表となる絵画を紹介したものなど)を見ていてパティニールという画家については知っていました。

ただ、作品数がいかに少ないかや一部の作品以外の収蔵美術館については知らずじまいでした。

パティニールの作品を初めて意識して見たのは、2004年にウィーン美術史美術館で開催された「フランドルの風景 1520-1700 (Die Flaemische Landschaft 1520-1700)」という展覧会でした。

Die Flaemische Landschaft 1520 1700

ウィーンの「フランドルの風景 1520-1700」展に出展されていたパティニールの作品は、

 ①「エジプトへの逃避のある風景」 (アントワープ王立美術館)

  ②「聖カテリナの殉教のある風景」 (ウィーン美術史美術館)

 ③「キリストの洗礼のある風景」 (ウィーン美術史美術館)

 ④「聖ヒエロニムスのいる風景」 (ロンドン ナショナルギャラリー)

の4点でした。

石川美子氏は著作の中で、三つのグループに分けて作品リストをまとめられています。

第一グループは、風景も人物もすべてパティニールの手で描かれたと考えられる、真正作品の六点で、上記①②はこのグループにリストアップされています。

著者がフランドルの美術館を巡って初めてパティニールらしい作品に出会えたと記したのは①の「エジプトへの逃避のある風景」 (アントワープ王立美術館)です。

自分もウィーンで見たこの作品が強く印象に焼き付き、「エジプトへの逃避」をテーマに書いた時に紹介しました。

ウィーンの展覧会で一番初めに紹介された作品もパティニールのこの「エジプトへの逃避のある風景」 でした。

②の「聖カテリナの殉教のある風景」 (ウィーン美術史美術館)は初期の作品です。

Joachim Patinir Die Marter der HL Katharina2

③「キリストの洗礼のある風景」 (ウィーン美術史美術館)は第二グループ、風景の完成度は高いが共同制作者の存在が考えられる作品群五点のうちの一点として挙げられています。

「ジョアキム・D・パティニエ作」の署名がありますが、人物像については他の画家が描いたという意見がある作品です。

④「聖ヒエロニムスのいる風景」 (ロンドン ナショナルギャラリー)は第三グループ、美しい風景が見られるがやや問題があり工房作と思われる作品群五点のうちの一点として挙げられています。

いずれにしても、本書では、厳密な意味で「パティニール作」と呼びうる現存作品は十一点とされています。

そして、生まれた時と場所についてもはっきりとはしていません。

生年は1480年から85年とされています。

はっきりしているのは、1515年アントワープの画家組合に親方として登録され、1524年には亡くなっていることです。

出生地も確定しておらず、ベルギーのディナンかブヴィーニュとされています。

ただ、ディナンのムーズ川沿いの渓谷・岩壁の写真を見ると、パティニールの絵の中の風景のように思えます。

彼も親方として工房を持っていたわけですが、弟子は一人しかとらなかったようで、その弟子は”半身像の画家”と呼ばれる画家のことではないかとの説があります。

又、フランドルの風景画家ヘリ・メット・ド・ブレスはパティニールの甥ではないかとされているようです。

ウィーンでの「フランドルの風景 1520-1700」展のカタログには二人の画家の作品も掲載されています。

展示作品によるのかもしれませんが、”半身像の画家”による「洗礼者ヨハネの生涯の場面がある風景」は遠景に水平線がはっきりと描かれた落ち着いた青色が基調の美しい絵で、パティニールに通じる緻密さ繊細さを感じます。

Meister der weiblichen Halbfiguren Landschaft mit Szenen aus dem Leben Johannes des Taeufers 2

一方、ヘリ・メット・ド・ブレスの作品は粗さ雑さが目立つように感じました。

本書を読んでの最大の発見は、”風景”が美しいと意識されるようになったのはかなり時代を下ってからで、それまでは居住性や生活資源に結び付いた”環境”としてしか見られていなかったという点です。

絵画の世界では十五世紀末から”風景”が認識され始め、戸外の景色しか描かない”風景画家”パティニールが現れるのですが、一般的に”風景”という言葉が認知されるのはようやく十七世紀後半になってからとのこと。

美術書でパティニールの作品としてよく紹介されているのはプラド美術館にある「ステュクス川を渡るカロン」で、以前からこの作品の青のグラデーションの美しさを是非見てみてみたいと思っていました。

今回、石川美子氏の著作を読んで、同じプラド美術館にある「聖ヒエロニムスのいる風景」の遠景の青も是非この目で確かめてみたい、そして両作品の中に散りばめられた異時同図表現による時間の流れも感じてみたいとという気持ちになりました。

プラド美術館を訪れたのは学生時代。まだ北方ルネサンスフランドル絵画に全く興味を持っていなかった頃でした。

パティニールの作品に会いに、マドリッド再訪を夢みています。