ティトゥス (絵の採掘坑 9)
レンブラント・ファン・レインは「光と影の画家」と呼ばれた17世紀オランダ絵画の巨匠です。
「光と影」という呼称はレンブラントの明暗表現によるものですが、彼の生涯自身も「栄光の前半生」と「困難と失意の後半生」で光と影に包まれていたと言えるのではないでしょうか。
レンブラントは大作「夜警」を描いた画家として有名ですが、この作品は彼の前半生の頂点、1642年の作品です。
これ以降彼の運命は暗転し、妻サスキアの死、愛人ヘールチェとの裁判沙汰、浪費による借金そして破産宣告と次々と困難が襲いかかります。
その中でもレンブラントは息子ティトゥスと後妻ヘンドリッキェに支えられて作品を描き続けます。
愛するヘンドリッキェが死んだ後も絵画制作を続けますが、その5年後、1668年に息子テイトゥスにも先立たれると力尽きたのか、1年後の1669年10月、63年の生涯を閉じました。
こうした彼の生涯を知った上で数多い彼の作品を見ていくと、その絵を描いた時の彼の置かれた状況と気持ちを思いやり、自ずと見方が違ってきます。
困難と失意の中で描かれた後半生の作品により魅力を感じるのも自然なことなのかもしれません。
そして、注文を受けて描いた歴史画、肖像画、群像画などよりも、自分のために、描くために描いた家族の肖像画や自画像の方に惹かれるのです。
レンブラントが親しい人々を描いた絵の中でも、一人息子ティトゥスを描いた数枚の絵は、成長する息子の姿を見つめ続けた彼の息子に対する深い愛情が満ち溢れていて、見ていて非常に暖かい気持ちになります。
ティトゥスはレンブラントとサスキアの間の4番目の子供で1641年9月に生まれました。最初の三人の子供達(一男二女)は生まれて数日から数ヶ月のうちに亡くなっています。
ティトゥスは唯一成人を迎えられた息子ですが、1668年9月、結婚後一年も経たないうちに27年の短い生涯を閉じました。
それでは、レンブラントが息子ティトゥスを描いた絵を見てみましょう。
(1)「机の前のティトゥス」, 1655年(ロッテルダム:ボイマンス・フォン・ブーニンヘン美術館)
ティトゥスが14歳の時に描かれたものです。赤い学校帽をかぶった彼は、書き物机の前に座って物思いに耽っています。宿題をしている最中なのでしょうか。
栗色の巻き毛をした利発そうな少年です。彼の右手の方向から光が当たり、顔の右側とペンを握った右手を照らしています。
この絵はロッテルダムで観ましたが、後で紹介するルーブル(5)とダリッヂ美術館(6)所蔵の作品と併せて、ドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館で開催された「レンブラントレンブラント展」でも対面しました。
この企画展は、京都国立博物館で2002末/2003初に開催された「大レンブラント展」が巡回したものですが、レンブラントの生涯を追いながら画風の変化を見ることができ、とてもよく構成された展覧会でした。
(2)「読書する画家の息子ティトゥス」, 1656/57年 (ウィーン美術史美術館)
この絵のティトゥスは15歳で椅子に座って本を読んでいます。「机の前のティトゥス」から一年後に描かれたものですが、既に幼さはなくとても落ち着いた雰囲気を持っています。
彼の額、鼻そして右手に光が当たり、陰の中で浮かび上がっています。
ウィーン美術史美術館にはこの絵の他にレンブラントが母コルネリアをモデルにして描いた「女預言者ハンナ」と1652年の「大自画像」があります。
(3)「画家の息子ティトゥス」, 1657年 (ロンドン:ウォレス・コレクション)
ウィーンの「読書するティトゥス」と同時期に描かれた作品で、正面から描かれた肖像画です。16歳ですが大人びていて、既に立派な若者ですね。
(4)「修道士に扮するティトゥス」, 1660年 (アムステルダム国立美術館)
19歳のティトゥスはカプチン僧の衣装を着ています。レンブラントは彼をモデルにアッシジの聖フランチェスコを描こうとしたのでしょうか。
ティトゥスはうつむき加減で穏やかな表情をしていますが、全体的に茶色に支配された画面の中で彼の顔の白さが目立ちます。
この年の12月、レンブラントはティトゥスとヘンドリッキェの二人と合意書を交わし、二人がレンブラントの生活の世話を全面的に引き受ける代わりにレンブラントは二人を債権者として認知し、彼等に全作品の所有権を終生にわたり与えることになりました。
ティトゥスとヘンドリッキェのこの賢明な処置によりレンブラントは債権者から開放されることになりました。
(5)「ティトゥスの肖像」, 1662年? (パリ:ルーブル美術館)
この年ティトゥスは21歳です。黒い画面の中で彼の右顔と巻き毛だけが明るく浮かび上がっています。
相変わらず落ち着いた表情ですが、同時にとても繊細な印象を受けます。この絵が描かれた翌年の1663年、ヘンドリッキェが亡くなります。
(6)「ティトゥスの肖像」, 1667/68年 (ロンドン:ダリッヂ美術館)
ティトゥス26歳の最後の肖像です。1667年末か1668年初め頃に描かれたようなので、ティトゥスがマグダレーナ・ファン・ローと結婚する少し前の時期になります。
この絵のティトゥスは疲れて憔悴した表情をしています。26歳の大人の男性で口髭を生やしているのですが、それがかえって不健康そうな印象を強めている気がします。
以上6点紹介しましたが、レンブラントが遺した息子ティトゥスの肖像を通じて、14歳の少年が青年から大人へと成長していく過程を辿ることができます。
どの肖像にも14歳の時の面影が残っていて、巻き毛とベレー帽が彼のトレードマークのようになっています。
ティトゥスは結婚後7ヶ月で亡くなりますが、翌年1669年3月に娘ティティアが生まれます。レンブラントはどんな気持ちで孫娘を抱いたのでしょう。
同年10月4日、レンブラント逝去。10月8日、西教会のティトゥスとヘンドリッキェの傍らに埋葬されました。
■Titus at His Writing Desk, 1655 (77 x 63 cm)
Rotterdam, Museum Boijmans Van Beuningen
■Titus van Rijn, the Artists Son, Reading, 1656-57 (70.5 x 64 cm)
Vienna, Kunsthistorisches Museum
■The Artist's Son Titus, 1657 (68.5 x 57 cm)
London, Wallece Collection
■Titus van Rijn in a Monk's Habit, 1660 (79.5 x 67.5 cm)
Paris, Musee du Louvre
■Portrait of Titus, 1662? (72 x 56 cm)
Paris, Musee du Louvre
■Portrait of Titus, 1667-68 (82.6 x 67.2 cm)
London, Dulwich Picture Gallery