クリムトの風景画 (絵の採掘坑 29)
仕事でウィーンを訪問し週末を過ごす機会を得ました。
この機会に久しぶりにクリムトの絵を観ることにして、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア・ギャラリーとレオポルト・ギャラリーに足を運びました。
振り返ってみると、初めてクリムトの絵に触れたのは高校生時代に購入したレコードのジャケットでした。
ピエール・ブーレーズ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック演奏によるシェーンベルクの「浄められた夜」のレコード。
その表紙がクリムトの「接吻」でした。
当時はその絵の作者を気に留めませんでしたが、大学に入った後に観た映画「ジェラシー(Bad Timing)」で、主人公がベルヴェデーレ宮でこの絵を観ているシーンがあり、この映画を通じて初めて画家クリムトを意識したように思います。
この映画には分離派の世紀末芸術の香りが濃厚にたちこめ、冷戦下に東西両陣営の狭間に位置していたウィーンの閉塞感を背景に、救いのない男女の恋愛を描いたデカダンスな映画でした。
ベルヴェデーレ宮殿を訪れるのは非常に久しぶり。
門外不出のクリムトの「接吻」は昔は明るい部屋に普通の高さで飾られていたような気がしますが、今は暗い部屋に高く掲げられ、絵の金色が浮かび上がって見えました。
「接吻」とともにクリムトの代表作として知られる「ユーディットI」は米国に貸し出されているとのことで見られず。
「アダムとイブ」「花嫁」「水蛇I」等のエロスとタナトスの作品、「ソニア・クニップスの肖像」等の肖像画も観ましたが、今回の収穫はクリムトの風景画をじっくりと観れたことでした。
クリムトが56年の生涯に残した油彩の作品はおよそ250点。そのうちの60点近くが風景画です。
ベルヴェデーレ宮のモダン・ギャラリー(現オーストリア・ギャラリー)は、早くも1900年の時点で「雨の後」(1898年)を購入。
1901年には、今はレオポルト・ミュージアムに展示されている「アッタ―湖にて」(1900年)を購入しています。
最も最近手に入れたのは2012年購入の「ひまわり」(1907年)。(色々な画集ではまだ"個人蔵"との記載になっています。)
ゴッホが花瓶に挿した切り花のひまわりを描いたのに対して、クリムトは屋外の、庭に咲くひまわりを描きました。
水が足りないのかうなだれた様子の一本の大輪のひまわりが正方形の画面中央に描かれ、ひまわりの肖像画のように感じられます。
1908年の「接吻」は、恋人たちの金色の衣装、金が散りばめられた背景から金色のイメージが強かったのですが、今回、恋人たちの足元に描かれた花畑に目が向きました。
上述の「ひまわり」の絵の下の方で咲く花々や、1908年作の「ひまわりの園」、1907年作の「けしの咲く野」にも通じるように感じました。
クリムトは1898年、ザルツブルクに近い夏の避暑地、ザルツカンマーグート地方のザンクト・アガタで長い休暇を過ごしました。
その後、彼は毎年夏の休暇をザルツカンマーグート地方のアッター湖畔とその周辺で過ごすようになり、それは彼の死の2年前の1916年まで続きました。
クリムトの風景画は、初期の数点のみが縦長ですが、その後は一貫して正方形のキャンバスに描かれています。
彼の描く風景画は、横長ワイドスクリーンのパノラマ的なものではなく、風景を弾きつけてクローズアップして描かれたものです。
望遠鏡も活用していたそうです。
彼の風景画の初期のものは、レオポルト・ミュージアムに展示されていました。
「カンマー城の静かな池」は1899年の作品です。
画面のかなり上までが池の水面で、水面を介して池の向こうの森や空に浮かぶ雲が観察できます。
「大きなポプラII」は1902年の作品。
空を覆う厚い雲を背景にポプラの巨木が画面中央右手に聳え立っています。
暖色と寒色が入り混じった点描で表現された樹は燃え上がる炎のようにも見え、迫りくる黒雲とともに、観る者を不安な気持ちにさせます。
今回観たクリムトの風景画の中で、「ひまわり」とともに特に印象に残ったのは、1900年に描かれた「アッター湖」です。
まず湖にたつさざ波を描くエメラルド・グリーンが目に飛び込んできます。
そして画面奥(上)に目を向けると、瑠璃色、コバルト・ブルーが水平に伸びていて美しいです。
青い色調で透明感のある清々しい絵でした。
上述した通り、クリムトの風景画は60点近くありますが、まだまだ個人所有のものが多く、それらは今は画集でしか見ることができません。
2002/2003年にベルヴェデーレ宮でクリムトの風景画の企画展があった由、行ってみたかった。。。
ただ、「ひまわり」のように、今後も美術館が買い上げてくれるものが出てくるかもしれませんね。