小布施の鳳凰 (絵の採掘坑 14)
「葛飾北斎」というと、"冨嶽三十六景"=浮世絵・風景画のイメージしかもっていませんでしたが、2005年秋に東京国立博物館で開催された「北斎展」で晩年の肉筆画を見て、イメージが大きく変わりました。
飽くなき探究心で九十歳まで描き続けた北斎。
画号を「画狂老人卍」とした最晩年の肉筆画は対象を写実的に描く一方、不必要な要素は極力排してすっきりとした、とてもモダンな作品ばかり。花鳥や魚などの動植物はいずれも瑞々しく生き生きとして描かれています。
北斎展には世界から500点の作品が集められてとても見ごたえのある展覧会でした。
その後に北斎関連の本を読んで、小布施には北斎が描いた屋台の天井絵やお寺の天井絵があることを知り、一度訪ねてみたいと思っていたのでした。
この夏、長野、小布施、戸隠方面へ旅行し、念願の北斎の天井絵に対面しました。
♪♪♪♪♪♪♪
小布施町にある曹洞宗の寺院、岩松院の本堂には、北斎が最晩年の88歳から89歳にかけて描いたとされる、鳳凰の天井絵があります。
畳21畳分もある大間天井の全面に描かれており、畳に寝転ばないと全体が見渡せないほど大きいです。
以前は寝転がれたようですが、現在は、天井絵保護の観点からということで、椅子に腰かけて静かに見上げる形式に変わっています。
鳳凰は植物油性岩絵具による画法で極彩色で描かれ、「八方睨み鳳凰図」と呼ばれるように、眼力のある目で広間を見下ろしています。すごい迫力。
描かれてから160年以上経っていますが、塗り替えは一度もされていないそうです。
岩松院は俳人小林一茶が「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という蛙合戦の句を詠んだ場所でもあります。
裏庭に小さな池があり、池のほとりに句碑が建っています。
北斎は、岩松院の天井絵の他に、東町・上町の二基の祭屋台にも天井絵を遺しました。
天井絵をおくその祭屋台と、肉筆画を中心に展示しているのが、小布施の観光中心エリアにある北斎館です。
東町祭屋台の天井絵は「鳳凰図」と「龍図」からなっています。
北斎85歳の時に約半年を費やして描かれたとされ、波に囲まれた鮮やかな紅の地の上に舞う龍と、暗い藍の地に円弧を描いて広がる鳳凰図が明暗、対極をなしています。
一方、上町祭屋台には「男浪」「女浪」二面の「怒涛」図が天井絵として、東町祭屋台天井絵の翌年描かれています。
生き物の触手のように伸びる波は、冨嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」に描かれた波の発展版のようです。
怒涛図の四周を彩る縁絵は、北斎の下絵を基に、北斎を小布施に招き庇護した小布施の豪商で北斎門人の高井鴻山が彩色しています。
この時期は「夏の館蔵肉筆名作選」という企画展が開催されていて、夏の爽やかな情景を写実的に描いた肉筆画が展示されていました。
「かれい めばる さより」、「西瓜と包丁」など、2005年の「北斎展」で見て新鮮な印象を受けたモチーフにも再会。