la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

生物多様性センター~初回訪問 (センス・オブ・ワンダー 33)

7月に山中湖でキャンプした機会に、午後のチェックインまでの時間を富士吉田市生物多様性センターで過ごすことにしました。

生物多様性センターは、生物多様性国家戦略に基づき、我が国の生物多様性保全を積極的に推進し、世界の生物多様性保全に貢献するために設立された、環境省自然環境局に属する機関です。

主たる業務は、①自然環境保全調査の実施、②生物多様性情報の収集・管理・提供、③文献等資料並びに動植物標本の収集・保管、④生物多様性保全に関する普及啓発、⑤国際協力 です。

センターのパンフレットに、「生物多様性」と「設立の背景」について下記の説明があります。

生物多様性とは、地球上に存在するすべての生き物の間に違いがあることを意味し、遺伝子、種、生態系の三つの観点から捉えられる。

生物多様性は生態系のバランスを維持する上で重要であるばかりでなく、私たちの生活にも計り知れない恵みをもたらしてくれる。

・しかし近年人間活動による生物の生息地の破壊や乱獲などのために、地球上の生物多様性は急速に失われつつある。

生物多様性保全とその持続可能な利用に世界全体で取り組むことを目的として1993年に「生物多様性条約」が発効し、わが国の基本方針を1995年に「生物多様性国家戦略」として決定した。

 生物多様性センターは、この国家戦略を受けて、我が国の生物多様性保全を積極的に推進し、世界の生物多様性保全に貢献するための中核的拠点として1998年に設立された。

生物多様性センターのリーフレットから

(生物多様性センターのリーフレットから)

我々が訪問したのは土曜日の午前中。窓口にNPOのスタッフの方が一人おられて館内を案内してくれました。

エントランスホールには標本の一部が展示され、又、動物の毛皮なども触れられるように置かれています。

広い図書資料閲覧室には3万冊の資料が所蔵されているそうです。

展示ロビーには、"国連生物多様性の10年日本委員会"が推薦する子供向け図書、「生物多様性の本箱」100冊が揃えられていて閲覧できるようになっていました。

又、生物多様性、日本の野生動物や国立公園等についてのパンフレット類もたくさん置かれていて、手にとれる資料も充実していました。

我々が滞在していた間は他に訪問者がいなかったため、展示室もじっくりと見学できました。

展示室「つながりうむ」では、生物多様性とはどんなことか、今何が起きているのか、守るためにどのような取り組みが行われているのか等について展示・説明されています。

中央にはシアターもあり、日本の自然環境と生物多様性の豊かさ・大切さを伝える短編映像を観ることができました。

以前から生物多様性に興味を持っている小学六年生の娘は、展示室見学に加え、「生物多様性の本箱」の本を閲覧し、子供のための生物多様性に関する資料も色々と入手できたことで満足した様子。

一方、小学三年生の息子は、館内の様々な場所に配置された野生動物のフィギュアを探すゲームに熱中。

フィギュアが小さい上に見つかりにくいところに置かれているので意外と苦労しましたが、ヒントを貰いながらなんとか全て確認できました。

おまけにバッジとカブトムシのカードをもらってゴキゲンでした。

帰り際に窓口のスタッフの方に挨拶にいったところ、翌週の日曜日、8月2日に「生物多様性まつり2015」という年に一度のイベントがあることを教えてもらいました。

同イベントには色々なプログラムがあることを知りましたが、その中でも標本収蔵庫ツアーには特に興味を惹かれました。

普段は未公開の標本収蔵庫をこの日だけは特別公開するという企画です。

その他にも葉脈標本、押し花コースターや間伐材うちわの工作体験等もあるので、この時点で来週の再訪を心に決めました。

山中湖 (プチ絶景 9)

しばらくぶりに山中湖でキャンプをしてきました。

富士山を一望できる湖畔のオートキャンプ・サイトで、今回は天気に恵まれ景色も楽しんできました。

キャンプ場には昼食後に到着。

家族でさっと設営した後は子供たちと湖で水遊び。

湖面の標高は980mと高い場所にありますが、日中の気温は首都圏とあまり変わらず30℃以上ありました。

最初冷たく感じた湖の水も浸かっていると涼しく心地良く感じられ、出たくなくなります。

お風呂に入ってリフレッシュした後、炭をおこしながら夕食の支度にとりかかります。

そうこうするうちに日が落ちてきて、目の前に夕暮れの山中湖と富士山の景色が広がりました。

18時50分頃の湖畔から眺める富士山の景色。裾野の方に少し赤みが残っている状態です。

山中湖畔から望む富士山 夕方 19時前

19時20分過ぎ。湖対岸の大平山・石割山方面へ目を向けると低い空は茜色一色に。

山中湖 夕暮れ 空 19時20分頃

遠景。

山中湖 夕暮れ 19時半頃

富士山方面に目を転じるとモーターボートの影が目に入ってきました。

19時半を過ぎるとだいぶ暗くなってきて、湖面も茜色から深紅色に変わっています。

山中湖 夕暮れ 19時半頃2

キャンプサイトの端に、葉が枯れて虫食いのようになった花が一輪伸びていて、その花を正面に、灯がともり始めた対岸にカメラを向けました。

山中湖 夕暮れ 19時40分半頃

日が落ちた後は結構涼しくなり、夜から朝にかけては半袖では少し寒いかなと感じられる状態でした。

(といっても結局半袖で過ごしてしまいましたが)

翌早朝5時半の山中湖畔から望む富士山の景色です。

麓のほうには朝靄がかかっていました。

山中湖畔から望む富士山 早朝5時半頃

大平山・石割山方面を望むと、朝陽を浴びて浅黄色に染まった景色が少し神秘的です。

湖面に山並みと朝靄が映り込んでいました。

山中湖 早朝5時半頃

7時に近くなるともう青空ですが、まだ少し朝靄が残っていて流れていました。

山中湖 朝6時50分頃

今回の週末一泊二日のキャンプでは、滞在中ずっと富士山の景色を眺めることができ、久しぶりに富士山を堪能することができました。

みたび、オオムラサキ! (センス・オブ・ワンダー 32)

七夕の前の週末にオオムラサキセンターに行ってきました。

オオムラサキの成虫に会いに七夕の時期に訪れたのは今年で三度目。

梅雨明け前のその日は朝から雨。

北杜市オオムラサキセンターに到着した朝10時頃には雨はあがっていましたが、曇り空で湿度も高い状態でした。

オオムラサキセンターのスタッフの方の説明では、オオムラサキの成虫は、雨天時や曇りの日にはあまり活発には活動しないとのこと。

オオムラサキセンターの生態観察施設「ひばりうむ」内には100頭程の成虫がいるとのことでしたが、その時点ではまだオオムラサキの成虫が舞う姿は見られませんでした。

ちょうど羽化した羽も乾いたオスの成虫がいて、スタッフの方が娘に「チョウには何本脚があるか知っている?」と聞きました。

娘は何故そのような質問をされるのか戸惑いながらも「6本です」と答え、スタッフの方が「じゃあよく見てごらん」と娘の掌の上に載せてくれました。

オオムラサキ 2015-2

オオムラサキは娘の指に脚をひっかけながら掌にのり、4本の脚でつかまって歩いています。

オオムラサキ 2015-1

ただ、よく観察してみると、頭部と前の脚(中脚)の間に2本の前脚が小さく折り畳まれてているのがわかります。

オオムラサキが属するタテハチョウ科の蝶は皆同様に成虫の前脚が退化して短くなっているそうで、一見したところ脚が4本しかないように見えるのです。

退化した前脚は歩行や掴まるためには役立たないものの、一方で味を感じたりする感覚器官として機能している由。

過去二度訪れて観察しているのに意識していなかったのは情けなし…

もうすぐ羽化するであろう蛹も見つけました。

手を触れていないのに蛹が自らブルブル震えるのを見て羽化は近いかもと期待して、暫く観察した後も何度か見に戻りましたが、結局滞在した3時間強の間には羽化しませんでした。

羽化して羽を乾かしているオオムラサキの成虫も数頭いました。

羽を乾かし終えたオオムラサキが飛び立つ瞬間を見たいと思い、こちらも観察していたのですが、残念ながら一部は見逃してしまい、残りも滞在時間中には飛び立ちませんでした。

それでも、じっとして羽が乾くのを待っているオオムラサキを近くでじっくり観察できました。

オオムラサキ 2015-4

お昼になるに頃には、葉の陰に隠れてとまっていたオオムラサキたちが舞い飛び始めてくれました。

オオムラサキ 2015-3

毎回訪れる度に新たな発見がある、七夕のイベントのオオムラサキセンター訪問です。

キース・ジャレット~ケルン・コンサートから (歌の採掘坑 24)

前回、ウィーンを舞台にした映画「ジェラシー(Bad Timing)」について触れましたが、ニコラス・ローグ監督の同映画を通じて知ることでその後親しむことになったのは、クリムト/分離派の絵画だけではありません。

キース・ジャレットの『The Köln Concert ケルン・コンサート』の旋律を初めて聴いたのもこの映画を通じてでした。

映画を見た後暫くの間忘れていたのですが、ある日、大学の友人のアパートで友人が何気なくかけたレコードが『The Köln Concert 』。

出だしの旋律を聴いた途端に、あの時聞いた音楽はこれだったのかと、突然回路がつながりました。

Keith Jarrett The Koeln Concert

その日以来、色々な場所で『The Köln Concert 』が流れるのを聴いてきました。

卒業旅行で訪れたブルターニュの港町サン・マロでふらっと入ったレストランのことも思い出します。

『The Köln Concert 』がきっかけで、その後キース・ジャレットの音楽を色々聴いてきました。

それでも、聴きたくなって度々戻ってくるのは『The Köln Concert 』の「Part I」、第一曲目です。

彼の即興演奏によるソロ・アルバムも色々聴き、「Scala」など他の場所での演奏にも大好きな旋律はあるのですが、一曲全体を通しての完成度から、「Köln, January 24, 1975 Part I」の26分の演奏は自分にとっては特別です。

静寂の中から澄み切った音が立ち上がってくる導入部。

インプロヴィゼーションで生成される主題は展開・発展し、やがて次の主題に繋がり、時に熱くなり又冷めて、波のように起伏しながら流れていきます。

キースのインスピレーションで音楽が生まれる瞬間、流れる時間を聴く者も共有します。

アンコールの「Part IIc」も旋律が馴染み易くて好きなのですが、個人的には、こちらはインプロヴィゼーションというよりもスタンダード・ナンバーのアドリブ演奏的な印象を持っています。

弾き始めの時点でメロディ・ラインはできあがっていて、迷いもなく一気に展開して行くような。

キースの即興ソロは1973年のブレーメンローザンヌでのライブ・レコーディングから始まります。

キースは1970年から1971年にかけてマイルス・デイヴィスのバンドに参加していましたが、同バンドの欧州ツアー中にドイツ・ミュンヘンの新興レーベルECMのマンフレート・アイヒャーと出会い、その後ECMレーベルから作品を発表することになります。

1973年に上記のブレーメンローザンヌの録音を『Solo Concerts』としてリリース、第ニ弾がケルンのオペラ・ハウスでの実況録音の『The Köln Concert』でした。

1975年、キース・ジャレットが29歳の時です。

その後も世紀を跨ぎ様々な場所でソロ・ライブを録音しています。

1983年、キースはゲーリー・ピーコック(ベース)、ジャック・ディジョネット(ドラム)とともにオーソドックスなスタンダード曲の演奏のアルバムを発表し、この”スタンダーズ・トリオ”は80年代以降の彼を代表する活動になり今日まで続いています。

東京でのライブを聴きにいったこともありますが、スタンダーズ・トリオの作品の中では、1983年発表の三作品の内の一作、『Standards, Vol.2』が最も気に入っています。

Keith Jarrett Standards, Vol2

アルバムの第一曲目の「So Tender」。ルバートでの美しいピアノ・ソロの導入。

インテンポでベースとドラムが入ってトリオの熱いインタープレイに心地よくのせられますが、最後はフェードアウトで終わります。

作曲はキース・ジャレットです。

「Never Let Me Go」や「I Fall In Love Too Easily」のスタンダード・ナンバーもいいです。

学生時代にミュンヘンに数ヵ月滞在していた時、このアルバムを試聴するために暫くレコード店に通いつめたことを思い出します。

1996年、キースはイタリアでのコンサート中に突然激しい疲労感に襲われ演奏がままならない状態に陥ります。

慢性疲労症候群」との診断で、その後の予定を全てキャンセルし自宅での療養を余儀なくされます。

1998年になってようやくピアノが弾けるようになるまでに回復。同年12月に自宅スタジオで録音されたのが、ソロとしては初のスタンダード・アルバムとなる『The Melody At Night, With You』です。

Keith Jarrett The Melody At Night, With You

このアルバムは、闘病生活を支えてくれた妻、ローズ・アン・ジャレットに捧げられています。

ガーシュインの「I Loves You, Porgy」から始まり「I'm Through With Love」までの全10曲。

どの曲も優しく穏やかで慈愛に満ちた演奏で、心に深く沁みてきます。

スタンダードのバラード曲に混じって2曲の民謡/Traditionalが収められています。

アイルランド民謡の「My Wild Irish Rose」とアメリカ民謡の「Shenandoah」。

優しく包み込まれて、肩の力を抜いて休んでいていいんだよ、と言われているような癒しの曲です。

心が洗われます。

スタンダード曲は、ガーシュインの「I Loves You, Porgy」 と「Someone to Watch over Me」、失恋のラブソング「Blame It on My Youth」と「「I'm Through With Love」(歌ではジェーン・モンハイトがお気に入りです)など。

歌だと熱く歌い上げてしまいがちな「Be My Love」 も、穏やかで淡々としながらも、愛おしい気持ちが染み出てきている感じ。

自分にとって大事な一枚です。

今年70歳のキース・ジャレット

昨年行われた世界各地でのソロ公演からセレクトしたアルバムや30年ほど前に録音されたクラシックのライブ・アルバムがリリースされています。

心に沁みる音楽をまだまだ聴かせて下さい。

クリムトの風景画 (絵の採掘坑 29)

仕事でウィーンを訪問し週末を過ごす機会を得ました。

この機会に久しぶりにクリムトの絵を観ることにして、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア・ギャラリーとレオポルト・ギャラリーに足を運びました。

振り返ってみると、初めてクリムトの絵に触れたのは高校生時代に購入したレコードのジャケットでした。

ピエール・ブーレーズ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック演奏によるシェーンベルクの「浄められた夜」のレコード。

その表紙がクリムトの「接吻」でした。

当時はその絵の作者を気に留めませんでしたが、大学に入った後に観た映画「ジェラシー(Bad Timing)」で、主人公がベルヴェデーレ宮でこの絵を観ているシーンがあり、この映画を通じて初めて画家クリムトを意識したように思います。

この映画には分離派の世紀末芸術の香りが濃厚にたちこめ、冷戦下に東西両陣営の狭間に位置していたウィーンの閉塞感を背景に、救いのない男女の恋愛を描いたデカダンスな映画でした。

ベルヴェデーレ宮殿を訪れるのは非常に久しぶり。

門外不出のクリムトの「接吻」は昔は明るい部屋に普通の高さで飾られていたような気がしますが、今は暗い部屋に高く掲げられ、絵の金色が浮かび上がって見えました。

「接吻」とともにクリムトの代表作として知られる「ユーディットI」は米国に貸し出されているとのことで見られず。

「アダムとイブ」「花嫁」「水蛇I」等のエロスとタナトスの作品、「ソニア・クニップスの肖像」等の肖像画も観ましたが、今回の収穫はクリムトの風景画をじっくりと観れたことでした。

クリムトが56年の生涯に残した油彩の作品はおよそ250点。そのうちの60点近くが風景画です。

ベルヴェデーレ宮のモダン・ギャラリー(現オーストリア・ギャラリー)は、早くも1900年の時点で「雨の後」(1898年)を購入。

1901年には、今はレオポルト・ミュージアムに展示されている「アッタ―湖にて」(1900年)を購入しています。

最も最近手に入れたのは2012年購入の「ひまわり」(1907年)。(色々な画集ではまだ"個人蔵"との記載になっています。)

Klimt Sunflower

ゴッホが花瓶に挿した切り花のひまわりを描いたのに対して、クリムトは屋外の、庭に咲くひまわりを描きました。

水が足りないのかうなだれた様子の一本の大輪のひまわりが正方形の画面中央に描かれ、ひまわりの肖像画のように感じられます。

1908年の「接吻」は、恋人たちの金色の衣装、金が散りばめられた背景から金色のイメージが強かったのですが、今回、恋人たちの足元に描かれた花畑に目が向きました。

上述の「ひまわり」の絵の下の方で咲く花々や、1908年作の「ひまわりの園」、1907年作の「けしの咲く野」にも通じるように感じました。

Klimt Cottage Garden with Sunflowers

Klimt Blossoming Poppy

クリムトは1898年、ザルツブルクに近い夏の避暑地、ザルツカンマーグート地方のザンクト・アガタで長い休暇を過ごしました。

その後、彼は毎年夏の休暇をザルツカンマーグート地方のアッター湖畔とその周辺で過ごすようになり、それは彼の死の2年前の1916年まで続きました。

クリムトの風景画は、初期の数点のみが縦長ですが、その後は一貫して正方形のキャンバスに描かれています。

彼の描く風景画は、横長ワイドスクリーンのパノラマ的なものではなく、風景を弾きつけてクローズアップして描かれたものです。

望遠鏡も活用していたそうです。

彼の風景画の初期のものは、レオポルト・ミュージアムに展示されていました。

「カンマー城の静かな池」は1899年の作品です。

画面のかなり上までが池の水面で、水面を介して池の向こうの森や空に浮かぶ雲が観察できます。

Klimt Pond in the Morning

「大きなポプラII」は1902年の作品。

空を覆う厚い雲を背景にポプラの巨木が画面中央右手に聳え立っています。

暖色と寒色が入り混じった点描で表現された樹は燃え上がる炎のようにも見え、迫りくる黒雲とともに、観る者を不安な気持ちにさせます。

Klimt Large Poplar II

今回観たクリムトの風景画の中で、「ひまわり」とともに特に印象に残ったのは、1900年に描かれた「アッター湖」です。

まず湖にたつさざ波を描くエメラルド・グリーンが目に飛び込んできます。

そして画面奥(上)に目を向けると、瑠璃色、コバルト・ブルーが水平に伸びていて美しいです。

青い色調で透明感のある清々しい絵でした。

Klimt Attersee

上述した通り、クリムトの風景画は60点近くありますが、まだまだ個人所有のものが多く、それらは今は画集でしか見ることができません。

2002/2003年にベルヴェデーレ宮でクリムトの風景画の企画展があった由、行ってみたかった。。。

ただ、「ひまわり」のように、今後も美術館が買い上げてくれるものが出てくるかもしれませんね。

高尾山ハイキング (センス・オブ・ワンダー 31)

天気が良かった6月最初の日曜日、ハイキングでもしようということで、家族で高尾山に行くことにしました。

社会人になって暫く中央線沿線に住んでいた頃、電車で寝過ごし度々高尾まで行ってしまったものでしたが、高尾山には一度も登ったことがありませんでした。

子供達は、以前、NHKの番組「探検バクモン」の"修行せよ!高尾山"の放送回を見ていたので、高尾山がどういう場所かの事前知識はあったようです。

山麓から高尾山展望台まではリフトで上がることに。

子供達はリフトには初めて乗ったので、揺れを楽しんだり、下の方を覗きこんで興奮したりしていました。

高尾山リフト

山上駅近くの展望地で都心の高層ビルやスカイツリーを眺め、表参道の1号路で薬王院を目指します。

タコ杉の隣の「開運・ひっぱり蛸」を撫でたり、"懺悔懺悔六根清浄"と唱えて「六根清浄石車(ろっこんしょうじょういしぐるま)」を回したりしながら、浄心門をくぐり男坂の108段の階段を上って薬王院へ。

薬王院境内では、「願叶輪潜(ねがいかなうわくぐり)」を願を掛けながらくぐり、その奥にある大錫杖を鳴らして祈願。

薬王院の本堂参拝後、裏手にある山道を進むとそれほど時間もかからず高尾山山頂に到着です。

行楽日和で大勢のハイキング客が山頂広場にレジャーシートを広げて休憩中で、我々も木陰に場所を見つけて昼食をとりました。

599mの山頂から麓へは、沢沿いの谷間の道を歩く6号路で下りました。

山頂から暫くは階段を下ります。

階段が切れた後すこし山道を進むと、道は細くなって所々に水が流れる沢の路になります。

高尾山自然研究路6号路

下ってくる人も登ってくる人もそれなりにいて、道が狭まるところではすれ違いのため渋滞になったりしますが、傍らに沢が流れる気持ちの良い道なので、新緑を楽しみながらゆっくり下りました。

道端で見かけたシダの葉の広がるさまが美しかったので思わずシャッターを切りました。

葉が重なることなく、ジグソーパズルのように、幾何学的に面を埋めるように広がっていました。

高尾山シダ

前を歩くグループが"アッ"と叫んで遠くの方を指差して望遠レンズで写真を撮っていたので、"何かあるのですか"と聞いてみると、"セッコク"という花が咲いているのだ、と教えてくれました。

初めて聞く花の名前でしたが、この時期高尾山で見ることができるラン科の花で、樹木の上に着生する植物なのだそうです。

かなり離れたところにある樹の枝からぶら下がるように白い花が咲いています。

望遠レンズでなんとか写真におさめることができました。

高尾山の石斛

帰宅した後に調べてみて、漢字では「石斛」と書くこと、健胃・強壮作用などがあって漢方薬として用いられることを知りました。

又、この時期に高尾山で見ることができるため、セッコクを見に訪れる人が多いほど、高尾山のセッコクは知られていることも知りました。

セッコクを眺めた場所から道を曲がると、修行者が滝行をすることができる琵琶滝まではすぐ。

琵琶滝

琵琶滝から麓までは一息。

この日のハイキングはは上りに途中までリフトを使ったので楽をしました。

"初高尾山"でしたが、この歳になって初めて見る花もあったりして、楽しいハイキングでした。

バッハ~ゴルトベルク変奏曲 (歌の採掘坑 23)

5月28日にミューザ川崎シンフォニーホールでの"MUZAアコースティック・ライブ"で、マルティン・シュタットフェルトのバッハの演奏を聴いてきました。

曲目はイタリア協奏曲とゴルトベルク変奏曲

バッハのゴルトベルク変奏曲は、以前からグレン・グールドの1981年録音のCDで親しんできました。

Glenn Gould Bach The Goldberg Variations

多くのピアニストがこの曲を録音していますが、グールドの他は、キース・ジャレットチェンバロでの演奏と、今回聴きに行ったシュタットフェルトのピアノ演奏ぐらいしか聴いていません。

1980年生まれのシュタットフェルトは、2002年ライプツィヒでのバッハ国際コンクールで史上最年少で優勝し、その2年後にバッハの「ゴルトベルク変奏曲」でCDデビューしました。

Martin Stadtfeld Bach Goldberg Variations

1997年、17歳の時にこの作品の虜になり、以来中心レパートリーの一つとしてきたそうです。

今回シュタットフェルトが来日しゴルトベルク変奏曲を弾くというので楽しみにしていました。

バッハは1742年にこの変奏曲を「クラヴィーア練習曲集」第4部として出版しました。

バッハ自身は"2段鍵盤のチェンバロのためのアリアと様々な変奏"との表題を付けましたが、不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のために、彼に仕えたクラヴィーア奏者ゴルトベルクの演奏用としてバッハが作曲したという逸話から「ゴルトベルク変奏曲」という通称で良く知られています。

曲は、32小節から成るアリアを最初と最後に配置し、その間にアリアの32音の低音主題に基づく30の変奏が展開され、合計32曲で構成されています。

第15, 21, 25変奏のみト短調で他は全てト長調

30の変奏には仕掛けがあり、3の倍数の変奏はカノンで、第3変奏の同音(1度)のカノンから第27変奏の9度のカノンまで順次音程が広がるようになっています。

そして、第30変奏はカノンではなく、バスの上に二つの民謡を載せた"クオドリベット"というスタイルの曲です。

全曲は第16変奏を境に前半/後半に分けられ、「序曲」と題された第16変奏はフランス風序曲で、後半の始まりを告げます。

自分の理解のために全体構成を以下の表にまとめてみました。

ゴルトベルク協奏曲

演奏会当日は、全席自由席のため早めにホールに行き、ステージに近い、ホールに向かって左側の2列目に席を確保しました。

演奏中の手の動き、足の動きも良く見える場所で視覚的にも楽しめる席でした。

途中休憩なしの演奏会で、まずは「イタリア協奏曲」。

ゴルトベルク変奏曲演奏前の手慣らしと言ってしまうとよくないのかもしれませんが、第3楽章のPrestoなどものすごい疾走感でとばしていました。

そして「ゴルトベルク変奏曲」。

緩急・強弱メリハリのある、ダイナミック且つ繊細な演奏で、息を凝らして聴き入った一時間強でした。

ホール内はピアノ以外の音は聞こえず、後半へ進むにつれて張りつめた空気が強くなっていく感じがしました。

CDの演奏を通じて、右手のパートがオクターブ上を弾いたり、左手のパートを高音域で弾いたりといった彼の変奏は知っていました。

しかしながら、実際の演奏でそれを聴覚的且つ視覚的に確認できたのは刺激的な体験でした。

両手交差も頻繁で、左右のパートの高低が逆になった時の音の響きの新鮮なこと。両手を上下に重ねて弾く時の音の力強さ。

速い演奏では指の動きに目が追い付かず、ペダルを踏み替える小刻みな足の動きも目に留まらぬ速さでした。

素晴らしい演奏でした。

ただ残念だったのは観客が少なかったこと。

総座席数が1997席の大きなホールですが、埋っていたのは一階と二階正面の席ぐらいだったように思います。

シュタットフェルトも舞台に現れて観客席を見た時に一瞬驚き落胆したのではないでしょうか。

アンコールは、モーツァルトが8歳の時に書いた曲をまとめた「ロンドン・スケッチブック」という作品集から、ソナタ変ロ長調第2楽章アダージョ

シンプルですが、三連符のリズムが心地よい、優しくて心が洗われる、天井の音楽でした。