la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

ベートーヴェン~交響曲第7番第2楽章 (歌の採掘坑 22)

先日、名画座で『パリよ、永遠に』という映画を見ました。

舞台は、第二次大戦末期のナチス・ドイツ占領下のパリ。ヒトラー命令による「パリ壊滅作戦」が実行されようとしている日。

パリで生まれ育った中立国スウェーデン総領事ノルドリンクが、パリ壊滅作戦を指揮するドイツ軍パリ防衛司令官コルティッツの一室を訪れ、作戦遂行を思いとどまらせるべく説得交渉する姿が描かれます。

映画の大部分は二人の間の息詰まる心理戦の場面で、ノルドリンクが相手の心の動きを読みつつ押したり引いたりの巧みな駆け引きで最後の最後にコルティッツに思いとどまらせることに成功します。

息つく暇もない83分でした。

映画は、ナチス・ドイツ占領下の都市にコンサートの放送を伝えるラジオのナレーションで始まります。

ラジオから流れるのはフルトヴェングラー指揮によるベートーヴェン交響曲第7番の第2楽章。

最初のEの音が厳かに伸び、4拍後に同じ音でターン・タッタ・ターン・ターン、というリズムが鳴りはじめてドラマが始まります。

ベートーヴェン交響曲第7番の第2楽章を初めて聴いたのは中学生の頃。

当時、映画好きな友人とクラシック音楽が好きな友人がいて、前者とは一緒にロードショーや名画座に通い詰める一方、後者とはお互いの家でクラシックのレコードを聴いてクラシック音楽について色々教えてもらったものです。

テレビの深夜映画放送で観た「未来惑星ザルドス」というSF映画にこの交響曲第7番第2楽章を使われていました。

監督はジョン・ブアマンで、主演がショーン・コネリーの1974年のイギリス映画です。

不老不死の未来の世界を舞台にした映画だったようですが(スト―リーはよく理解できず)、記憶に残っているのは、正面を向いて座るショーン・コネリーシャーロット・ランプリングの二人がやがて年老いて白骨に変わっていくラスト・シーンと、このベートーヴェンの音楽です。

映画を見て暫くして、家にあったクラシックのレコードを聴いていく過程でベートーヴェン交響曲第7番にぶつかり、ああこの曲だったのかと認識しました。

ベートーヴェン交響曲第7番は、ベートーヴェン交響曲中でも特にリズミカルで躍動感のある作品です。

リズムが明快なことからワーグナーはこの曲を「舞踏の聖化」と呼んだそうです。

堂々とした第1楽章、軽快な第3楽章、壮大な第4楽章の長調の他の三つの楽章に対して、第2楽章は悲しみを帯びたメランコリックな短調の楽章ですが、通常アダージョやアンダンテが置かれる第2楽章において、それらよりも速いアレグレットのテンポになっていて、リズムが際立っています。

第2楽章は、イ短調、4分の2拍子、3部形式のアレグレット。

抒情性を湛えながら、テーマの"ターン・タッタ・ターン・ターン"というリズムが流れます。

第一部、静かに厳かに始まった"ターン・タッタ・ターン・ターン"のテーマに、半音階を含んで流れる抒情性のある第2テーマが重なり、次第に厚みを増していく部分は特に美しく、聴く者に迫ってきます。

途中に二度現れる長調の中間部では明るく優しい曲調になりますが、再び第一部の短調のテーマに戻り、一旦盛り上がった後で厳かに終了します。

この曲は1811年から1813年にかけて作曲され、初演は1813年12月8日、ウィーン大学講堂にてベートーヴェン自身の指揮で行われました。

演奏会は大成功で、第2楽章がアンコールされています。

自分にとっては、ベートーヴェン交響曲の中では第9番"合唱付"とともに好きな曲です。

中学生時代に初めて聴いたレコードの演奏者については思い出せませんが、普段聴いているのはカルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルの1976年録音のCDです。

ベートーヴェン交響曲第7番 カルロス・クライバー

ベートーヴェン交響曲第7番第2楽章は、以前に見た「落下の王国」(2006年)にも使われていました。

ネットで検索してみて、上記の映画以外にも数多くの映画に使われいることを知りました。

抒情的且つ厳かなこの曲は、そのような雰囲気を作り出したい映画にとっては、テーマ曲として使うのには最適なのでしょう。

久しぶりにじっくりと聴き直しました。

木のカトラリー (手づくりバンザイ 11)

昔作ったヒノキのバターナイフがくたびれてきたので少し手を入れました。

もともとは4~5年前に作ったもの。

当時、木のカトラリーの本を見て自分でも作ってみたくなり、ホームセンターで木材を買ってきて削って作りました。

バターナイフは、スプーンやフォークに比べると形がシンプルで手がけやすく、又、以前から家族で使うバターナイフが欲しかったので、取り組んでみることにしました。

買ってきたヒノキの木材をまず適当な長さに切って、その木材に鉛筆でバターナイフの形を線描します。

そしてナイフで大体の形に削り出し、後は地道に紙やすりで削って磨いて仕上げていきます。

細かい紙やすりで仕上げた後は、長く使えるようにクルミ油を塗って表面をコーテイングして完成です。

最初に作ったのは下の写真の右側のものです。

まずはシンプル&スタンダードな形にしようと考えて削りましたが、少し削りすぎたようで、小さめな出来上がりになりました。木目のほうは表も裏もきれいに仕上がりました。

左のものは少し後に作ったものです。デザインを悩みながら作ったもので、形は一番気に入っています。

ヒノキのバターナイフ

次の写真の左側のものは、最初の作品とペアになるものをと考えて作りました。

形を手直ししているうちに最初のものより小さな作品になってしまいました。

右側の作品は、それまで削ったものとは異なるシルエットのものをと考えて作りました。木目もおもしろい表情です。

ヒノキのバターナイフ2

他にも作りましたが親兄弟にあげたりして、今我が家で使っているバターナイフはこの四本。

週末の朝食や、その他の洋食でパン食の際に活躍してくれています。

暫く使ってきてクルミ油のコーテイングも落ちてしまい、また刃先の部分の滑りも悪くなったようなので、もう一度、紙やすりで磨いて仕上げ直しました。

ローストせず塩も加えていない食材のクルミを買ってきて、それを数粒端切れに包んで潰し、その包みから滲み出てくる油を表面に塗って、改めてコーティングしました。

作ったばかりの時の姿に戻ったようで満足。

ヒノキのカトラリー

以前、バターナイフをある程度作った後に、ジャムスプーンにも挑戦して作りました。

バターナイフに比べると手間がかかりましたが、これらも家族が使ってくれています。

ジャムスプーン

ピカピカになった木のカトラリー。

まだ暫く活躍してもらえそうです。

新緑の龍王峡 (センス・オブ・ワンダー 30)

会津への鉄道旅行の往路で、鬼怒川の景勝地龍王峡でハイキングをしてきました。

龍王峡へは、野岩鉄道の最初の駅である新藤原駅の次、龍王峡駅を降りてすぐです。

東武鉄道との直通があるので浅草から快速会津田島行きで乗り換えずに行けます。

今から約2200万年前に海底火山の活動で噴出した火山岩が、鬼怒川の流れによって侵食されて現在の龍王峡の姿になったといわれています。

食堂や土産物のお店が集まっている一角の裏側に龍王峡へ降りる道があります。

石段の道を川の方へ下っていくと、鬼怒川・川治温泉の守り神である竜神様の像が祀られている五龍王神社があり、その後ろに虹見の滝があります。

太陽光線が当たると虹がかかることから名付けられたそうです。

龍王峡_虹見橋から望む虹見の滝

(虹見橋から望む虹見の滝)

川沿いの自然研究路へ行く前に、河原への道を下りてみると、開けた河原があって、目の前に白い岩、新緑、そしてエメラルドグリーンの流れが広がっていました。

水は冷たく水遊びはできませんが、腰を下ろして涼みながら景色を眺めるには絶好の場所です。

龍王峡_河原からの眺め

龍王峡は、岩の種類と色の違いによって、下流からに白龍峡、青龍峡、紫龍峡と三つに分けて呼ばれています。

むささび橋から下流が白っぽい色をした流紋岩、むささび橋から兎はねの間が青い色をした緑色凝灰岩、兎はねから上流が紫色をした安山岩でできているそうです。

龍王峡のハイキングコースは、龍王峡駅裏の入り口から上流方向に、川治温泉駅や更に川治湯元駅までのびているそうです。

ただ、残念ながら、我々が行った時は落石のため、むささび橋から先の自然研究路は進めませんでした。

従って、虹見橋を渡って右岸研究路を歩き、むささび橋を渡って左岸研究路を戻ってくることにしました。

自然研究路では、新緑のまぶしい黄緑色の中にヤマツツジがオレンジ色の花を咲かせ、野鳥がさえずり、気持ちの良いハイキングができました。

右岸研究路に沿って湿地が広がっていて、クリンソウが鮮やかな色の花を咲かせていました。

龍王峡_クリンソウ

湿地からは蛙が鳴く声も聞こえてきました。

池があるので暫く見ていると、やがて水面に蛙が顔を出しました。

龍王峡_カエル

ガイドブックにはモリアオガエルが生息する地と書かれていましたが、この蛙は違います。

池にはオタマジャクシがたくさん泳いでいましたが、目を凝らして水の中を見ていると、手足があって尻尾の長い体長10cmほどの生物も動き回っていました。

サンショウウオと気付きました。

右岸研究路を進むとむささび橋に出ます。

橋から上流を望むと、青龍峡の緑色凝灰岩による青みがかった渓谷の景色が広がります。

龍王峡_むささび橋から上流方面

一方、下流を望むと、白い流紋岩の白龍峡の渓谷美が楽しめます。遠くに虹見橋が小さく見えています。

龍王峡_むささび橋から下流方面

橋を渡り左岸研究路を龍王峡駅方面へ戻ります。

左岸は右岸ほど視界が開けていなくて林の中を歩きます。

木々の間から、鬼怒川に浸食された白い岩が眺められました。

龍王峡_白龍峡

左岸を進むと途中に"流紋岩の割れ目"の説明書きがありました。

龍王峡_流紋岩の割れ目

木の葉に隠れて少し見にくいのですが、左斜め中央下から右斜め上にかけて横に割れ目が見えます。

このような割れ目は、流紋岩のような火山から流れ出した溶岩が急激に冷えて収縮してできた場合や、海底から隆起した際の運動によってできるそうです。

この割れ目を伝って地下水が流れ、時には温泉が湧き出ることもあるようで、鬼怒川温泉川治温泉では、このような岩の割れ目から温泉が湧いているのだそうです。

左岸研究路を進むと左手へ折れる道があり、その道を進むと野岩鉄道の線路を越えることができました。

龍王峡駅から川治温泉駅方面へ向かう列車はすぐにトンネルの中に入るのですが、そのトンネルの上を越えて駅の方に戻ることができました。

龍王峡は、毎年7月に開催される龍王祭の時期や秋の紅葉の時期にはかなりの人出になるそうです。

それでも、別の季節に会津への旅を計画する際、是非また歩いてみたい場所です。

鉄道旅行~会津への道 (永遠の場所 27)

東武鉄道の「ゆったり会津 東武フリーパス」を使って会津へ行ってきました。

鉄道好きの息子と二泊三日で家族旅行をするにはちょうど良いと考えて計画を立てましたが、色々な意味で新たな発見がある旅になりました。

東京浅草から会津若松までは、①東武伊勢崎線(浅草~東武動物公園) ②東武日光線(~下今市) ③東武鬼怒川線(~新藤原) ④野岩鉄道会津鬼怒川線(~会津高原尾瀬口) ⑤会津鉄道会津線(~西若松) ⑥JR只見線(~会津若松) の六つの路線を乗り継いで行くことになります。

といっても今は複数の線を乗り入れて走る列車があるので、実際には、会津鉄道沿線の会津田島駅で一回乗り換えるだけで浅草から会津若松まで行くことができます。

野岩鉄道

野岩鉄道のパンフレットから)

我々は下記の旅程で、龍王峡&川治温泉会津若松、日光を二泊三日で旅してきました。

[初日]  浅草 10:40 - 龍王峡 13:24 (区間快速会津田島行)、龍王峡16:24 -川治湯元16:30

[二日目] 川治湯元08:57 - 会津若松11:17 (快速会津田島行、会津田島で乗り換え)

[三日目] 会津若松08:00 - 東武日光11:01 (AIZUマウントエクスプレス4号)

      東武日光18:04 - 北千住 20:00 (きりふり296号)

会津への道

新藤原から会津高原尾瀬口までの野岩鉄道会津高原尾瀬口から西若松までの会津鉄道は山の中を走るので、この時期、新緑の清々しい景色を楽しめました。

野岩鉄道は山間部を走るため、路線距離30.7kmのの6割をトンネル、1割を鉄橋が占めるそうです。

川治湯元駅から会津寄りに一駅の湯西川温泉駅はトンネル内にある駅ですが、このトンネル駅を出たところがビュースポットで、鉄橋の上から左側に湯西川、右側に五十里湖の景色が開けます。

ただ直ぐにトンネルに入ってしまい、次の中三依温泉駅までは大部分がトンネルです。

湯西川五十里湖ビューポイント

この写真はそのビューポイントの鉄橋上で撮ったものです。

復路で撮ったものなので、左側に五十里湖、右側に湯西川があり、鉄橋の正面先のトンネルの中に湯西川温泉駅があります。

会津鉄道沿いでも清々しい新緑の景色を眺めました。この写真は塔のへつり駅近郊で車窓から撮ったものです。

会津鉄道塔のへつり近郊新緑

この東京から会津への路線、特に下今市から先の東武鬼怒川線野岩鉄道会津鬼怒川線会津鉄道会津線の沿革を調べてみるととても興味深いです。

東武鬼怒川線は、1913年に運転を開始した鬼怒川水力電気下滝発電所建設のための資材運搬軌道が前身となっています。

これが下野軌道、その後下野電気鉄道となりましたが、太平洋戦争中の1943年、陸上交通事業調整法による交通統合により東武鉄道に買収され、それ以来東武鬼怒川線として運営されています。

会津鉄道会津線は、1927年開業の国鉄会津線が1980年公布の国鉄再建法により特定地方交通線に指定されたことに伴い、国鉄分割民営化後の1987年に第三セクター会津鉄道が引き継いだものです。

このように、東武鬼怒川線は下野電気鉄道としての歴史が、会津鉄道会津線国鉄会津線としての歴史があり、開業はそれぞれ1917年、1927年に遡るのですが、一方で間に位置する野岩鉄道会津鬼怒川線が開通したのは1986年です。

野岩鉄道は、栃木、福島両県などが出資した第三セクター鉄道で、旧国鉄が財政難で中断した工事を引き継いで路線を完成させました。

1891(明治24)年に会津地方の有志が首都圏と鉄道で結ぶよう陳情して以来、開通は「100年越しの悲願」とのことです。

会津高原尾瀬口以外の駅は栃木県内にあるのに福島県の出資が多いのは、首都圏との結びつきを求める思いがより強かったからなのでしょう。

ちなみに東武鉄道野岩鉄道にも会津鉄道にも出資しています。

3路線の概要を以下にまとめてみました。

東武鬼怒川線&野岩鉄道&会津鉄道

浅草から会津若松までは列車で5時間強で着きます。

一気に行くには少ししんどい気がしますが、車窓の景色も楽しいですし、どこかで一旦途中下車して散策しがてら行くには楽しいルートです。

今回新緑の季節も良かったのですが、紅葉、雪、桜など別の季節にもまた訪れてみたいと思いました。

神縄断層 (センス・オブ・ワンダー 29)

伊豆半島が本州に衝突した現場である「神縄(かんなわ)断層」に行ってきました。

6年半ほど前に一度見に行きましたが、当時子供達は幼かったので覚えておらず、娘が見たいということで再訪することにしました。

前回は二か所、神奈川県の山北町皆瀬川の露頭と、静岡県の小山町生土の露頭を見ましたが、山北町の露頭よりも小山町の露頭の方が断層がわかりやすく又行きやすいので、小山町の露頭に行くことにしました。

ちなみに、山北町の露頭は断層が水平に走っていて、下が新しい足柄層(れき岩)、上が古い丹沢層(凝灰岩)です。

一方、小山町の露頭は断層が垂直に切り立っていて、向かって左が本州側の丹沢層(凝灰岩)、右が伊豆半島側の駿河れき層です。

国道246号線を神奈川県と静岡県の県境を過ぎたところで側道に入り、しばらく進んでフジボウの建物の向かい側の川に沿って伸びる林道を北上します。

途中から砂利道になりますが、前回はゲートのあるところまでは車で入れました。

ところが今回は、少し行ったところで道の状態が悪くなり車でゲートへ向かうのは断念、スペースを見つけて車を停めました。

林道の始まりからゲートまでは2km程度と知っていたので徒歩で林道を上ります。

道を進むとところどころで土砂崩れや木が倒れている様子を見かけました。

コンクリートの防壁も崩れていました。

神縄断層への道1

多分ここ数年の集中豪雨で地盤が緩んで崩れたりしているのでしょう。倒木もたくさん見ました。

整備・修復する余裕がないのか、そのままになっているようです。

神縄断層への道2

ゲートに到着。ここからはすぐです。

神縄断層への道3

断層の場所に立て看板はありました。

神縄断層

これが静岡県小山町の神縄断層の露頭です。

先に書きましたが、向かって左が本州側の丹沢層、右が伊豆半島側の駿河れき層です。

神縄断層2

娘も断層の前に立って、伊豆半島小笠原諸島のあたりから北上し、100~60万年前頃に本州に衝突した様子を想像しようとしているようでした。

本州側の灰色の層は遠目からみると一見硬そうですが、凝灰岩の地層で結構もろく、さわると剥がれおちる感じです。

神縄断層3

この神縄断層は日本にあるジオサイトの中でも重要な場所の一つであるように思います。

ただ、このまま林道の整備・修復が進まず、一方で気候変動によって集中豪雨が多発すると、ますますアクセスが困難になってしまうでしょう。

5年後、10年後に再び訪れることができるのか危惧しています。

帰り道でマムシグサが生えているのを見つけました。地下茎がイモ状で有毒なのだそうです。

マムシグサ

帰省 (歌の採掘坑 21)

僕の娘も歌が好きです。

自分の子供の頃の音楽体験を振り返ってみると、大学生になるまではメロディ偏重で過ごしてきていて、歌の歌詞を噛みしめたという記憶はほとんどありません。

一方、娘は小さい頃から言葉に対する感受性が強く、いつも歌詞を意識して歌を聴いているようです。

小学校一年生の時には、アンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」に強く反応しました。

基本的には前向きな元気ソングが好き。最近よく聴いているのはクリス・ハートの「Heart Song」「Heart Song II」です。

娘は結構古い曲にも親しんでいます。

キャンプや帰省に車で出かける際に、車中で流れる音楽が僕や妻のCDからのものであったりするのが影響しています。

クイーン、ビリー・ジョエル等の洋楽や松田聖子も好きですが、妻の持っていた「Singles 2000」というアルバムを通じて慣れ親しんだ中島みゆきは特別な存在のようです。

以前から「糸」は娘の大好きな曲でした。

今から2年以上前、2012年の年も押し詰まった三十日の朝、NHKのラジオ番組「なぎら健壱 あの頃のフォークが聞きたい」で、 安田祥子由紀さおり姉妹の歌う、中島みゆきの『帰省』がかかりました。

その日曜日はちょうど車で妻の実家に帰省する予定の日で、その時はまだまどろみつつラジオを聴いていました。

我が家ではラジオを目覚まし代わりに使っているのですが、ラジオからピアノの伴奏による安田シスターズの心地よい歌声が流れ、その心に沁みる歌詞の内容に聴き入りました。

娘も黙って聴き入っていました。

”遠い国の客には笑われるけれど”という導入から、”押し合わなければ電車にも乗れず、 肩を張り肘を張り押しのけ合う”都会の様子が歌われ、そしてサビからは、故郷で人の温もりに触れて元気さを取り戻し、都会の生活に戻って心の動きが下記のように歌われます。

 ”けれど年に2回 8月と1月 人ははにかんで道を譲る 故郷からの帰り 束の間 人を信じたら もう半年がんばれる”

この曲が収録されているのは「由紀さおり安田祥子~歌・うた・唄Vol.5 あしたの想い出」(2000年リリース)。

どうしても又聴きたくて、帰省の準備の合間にネットで調べてCDの注文を入れました。

歌うた唄Vol5~あしたの想い出

このアルバムに収録された12曲の歌を聴いていると、温かさ、優しさ、そして懐かしさで包み込まれる感じがします。

娘が”フワッとした気持ちになる”と表現したのは同じように感じたからなのかもしれません。

編曲・サウンドプロデューサーは、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」をはじめ数々の名曲を作曲した坂田晃一

姉妹一人一人の歌声、二人のハーモニー、そしてピアノの伴奏もとてもよいです。

中島みゆきの『帰省』、安田シスターズの共作による1曲以外の10曲も、それぞれ著名なシンガー・ソング・ライターによる作品です。

1曲目の「Beautiful Flower」(作詞・作曲:加藤登紀子)から最後の「ぼくをだいて」(作詞:はたよしこ、作曲:小室等)の全12曲でこのアルバムの温かくて優しく懐かしい世界が形作られているように感じます。

娘は『帰省』が一番好きと言っていますが、どの曲も甲乙つけがたく、是非全曲を通して聴いてみて頂きたいと思います。

このアルバムのリリースから2カ月後、中島みゆき自身もアルバム「短篇集」でこの『帰省』をセルフカバーで歌っています。

短篇集

I'll Remember April (歌の採掘坑 20)

四月を歌ったスタンダード・ナンバーでまず思い浮かべるのはジョニー・ハートマンが歌う『I'll Remember April』です。

バーノン・デューク作曲の「April In Paris」という名曲もありますが、自分にとっては、やはりジョニー・ハートマンの歌で『I'll Remember April』が好きです。

この曲は、ドン・レイ、ジーン・デ・ポール、パット・ジョンストンの共作で、1942年に上映された映画「ライド・エム・カウボーイ」の主題歌として書かれたナンバー。

インストでは速いテンポが多いようですが、ヴォーカルでは歌詞の内容からバラードで歌われることが多い曲です。

<< I'll Remember April >>

Words and Music by Don Raye, Gene De Paul and Pat Johnston

This lovely day will lengthen into ev'ning

We'll sigh goodbye to all we've ever had

Alone where we have walked together

I'll Remember April and be glad

I'll be content you loved me once in April

Your lips were warm and love and spring were new

But I'm not afraid of Autumn and her sorrow

For I'll remember April and you

The fire will dwindle into glowing ashes

For flames and love live such a little while

I won't forget but I won't be lonely

I'll remember April and I'll smile

この心地よき日も暮れようとしている

そして僕らはため息とともに過ぎ去った時に別れを告げる

君と歩いたこの道を独り歩きつつ

四月を思い出すと僕は幸せな気持ちになれる

僕は満足していられる

君が愛してくれたあの四月がある限り

君の唇は暖かく恋と春は始まったばかりだった

僕は憂愁の秋を恐れはしない

なぜなら僕には君とのあの四月の思い出があるから

炎もやがて衰え赤々とした灰へと姿を変える

炎も恋もはかない命

僕は忘れないだろう でも寂しがることはない

あの四月を思い出し微笑むことだろう

"四月"の思い出を歌っていますが今は秋。

歌詞を読んでいると、この曲は失恋を歌ってはいるのですが、時を経てその痛みは既に昇華され心は前を向き始めているようで、穏やかなイメージを持ちます。

ほとぼりは残っているようでいて清々しさを感じさせるような・・・

愛聴盤は以前にも紹介したジョニー・ハートマンの「Songs From The Heart plus All Of Me」です。

Johnny Hartman Songs From The Heart

曲はA-B-A'の16x3=48小節の構成。

ピアノのイントロの後にハートマンがルバートで歌い始めます。

8小節後の"Alone"のところからインテンポとなりブラシがテンポをとります。

Bに入ったところからハワード・マギーのトランペットがハートマンのバリトン・ボイスに絡んできます。

ジョニー・ハートマンのヴォーカル、ハワード・マギーのトランペット、ラルフ・シャロンのピアノのインタープレイにため息がでます。

いつの日かこんな風に歌ってみたいものです。