la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

ギリシャ:イグメニツァ~カランバカ~メテオラ 1997年夏 (永遠の場所 3)

1997年の春、塩野七生の「ローマ人の物語」を読み始めました。

ローマ人の物語」は1992年から年に1冊ずつ刊行され、読み始めた時には第5巻まで刊行されていました。

読み始めてすぐに古代ローマの世界に引き込まれ、一気に「ユリウス・カエサル ルビコン以後」まで読み進み、1997年7月に刊行された第6巻「パクス・ロマーナ」も待ちかねるようにして手に取りました。

古代ローマにどっぷりと浸かっていたので、夏休みは是非ローマに行きたいと考えていました。

その年は一週間の特別休暇も貰えることになっていたので、通常の夏休みにつけて2週間の休みをとることに。

古代ローマに先立つ古代ギリシャについても興味を持っていたので、「ギリシャ・ローマ2週間の旅」にすることに決めました。

バックパックでの一人旅で、最初から行き当たりばったりの旅行でした。

事前に決めていたことは、ローマ滞在、ギリシャ内旅行と、ブリンディシからギリシャ行きのフェリーに乗ることのみ。

ギリシャ訪問は初めてでした。

[Jul.28]

成田を昼の12時半頃発ってミラノ経由ローマに着いたのが14時間後の夜の8時前。

ミラノでのトランジット時に、ローマに着いたらそのまま一気にイタリアの踵にあるブリンディシまで行ってしまおうと決めました。

テルミニ駅まで出てブリンディシへ向かう夜行列車に乗ります。

急行列車がローマを発ったのがほぼ夜中の零時。

クシェットをとるのをあきらめ、しばらくは定員6人いっぱいのコンパートメント。

途中で3人降りたため、残る3人で占領してゆっくり横になることができましたが、隣に寝ていたイタリア人の女の子二人連れのいびきに悩まされました。

バーリのあたりからは左手にアドリア海が眺められました。

[Jul.29]

ブリンディシには朝8時過ぎに到着。

駅の案内でギリシャへ向かう船のことを尋ねると朝10時に発つフェリーがあるとのことで、この船に乗ることを即決しました。

塩野七生の「ローマ人の物語」を第6巻まで読んできて、距離感をできるだけ身体で感じたいと思い、今回の旅は陸路・海路に徹したいと思い始めていました。

ギリシャ国籍のStrintzis Linesのフェリーに乗り、ケルキラ島の対岸の港町イグメニツァに向かいます。

ペロポネソス半島のパトラまで行かずにイグメニツァまでとしたのは、イグメニツァからメテオラまでがそれ程遠くないことに気が付いたからです。

メテオラはテッサリア地方の奇岩群とその上に建設された修道院群です。世界遺産で、その中でも文化遺産と自然遺産の両方の価値を持つ複合遺産として登録されています。

最初の目的地はメテオラに決めました。

しばらくデッキで陽光を浴びた後、冷房の効いた船内のフロアでリラックス。

成田を発ってからずっと乗り物に乗り続けていて、フェリーでの昼食は久しぶりにゆったりした食事になりました。

昼食のアナウンスで、初めてイタリアとギリシャの間に一時間の時差があることを知った次第。

イグメニツァ_葉書

(絵葉書)

イグメニツァには夜7時過ぎに到着。入国許可は船内では出ず、港の警察に行きデータ入力後にパスポートにスタンプを受けました。

港に沿った通りにはフェリーを中心とした旅行会社が並んでおり、この通りにあるホテルに決めました。

とにかく2日間以上乗り物に乗り続けで早くシャワーを浴びたかったのです。

[Jul.30]

朝は屋外で朝食をとった後、11:45出発のカランバカ行きバスに乗車。Volvo製の古いバスでした。このバスはテッサロニキまでいくとのこと。

カランバカへの道はとにかく山を登っては降りるというかなりスリリングな道程。

途中には横倒しになったトラックあり、ヤギの群れあり、岩肌の風景が続く中でアクセントもありました。

隣席には親切なギリシャ人が座り、いろいろギリシャの名所を教えてくれました。

途中峠で休憩があり、そこで飲んだ湧水はとてもおいしかった。

道程4時間と言われていたものの、カランバカに着いたのは夕方5時半に近い時刻でした。

バスを降りると客引きの女性が車で待っていて、取り敢えず部屋を見せてもらうことにして彼女の車に乗り込みました。

連れて行かれたのは旧市街にあるAlsos Houseという場所。

部屋のテラスからメテオラの奇岩群が見えるナイス・ロケーションで値段も悪くなかったのでそこに決めました。

バスの時間を確認がてら街の中心部に繰り出し、宿のおじいさんに紹介してもらったタベルナへ。

まずトマト・ピーマンの肉詰めとアムステル・ビール。

レツィーナという松脂で香りをつけた白ワインも飲んでみたかったので、続けてタラモサラダとレツィーナのハーフボトルという夕食となりました。

[Jul.31]

朝8時過ぎに宿を出て広場の脇でメテオラ行のバスを待ちます。

バスは9時にカランバカを発ち、カストラキの街を経由してメテオラ頂上のメガロ・メテオロン修道院へ。

この修道院も次に訪れたヴァルラーム修道院も、展望台の眺めと修道院内の壁画、イコンが素晴らしかった。

ここの壁画は、後で後で訪れたルサノス、アギオス・ステファノス修道院のものより数段古めかしく荘厳に見えました。

シチリアのモンレアーレを思い出しましたが、ビザンチン帝国時代の宗教の中心地は、帝国首都の他は、メテオラ、ミストラ、アトス山、モンレアーレであった由。

ヴァルラーム修道院は岩壁を削って造った階段を上って入ります。昔修道士を吊って上げ下げした滑車と網袋がありました。

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ルサノスは尼僧院で、他に比べると狭く、外から見るととくに隔絶され空中に浮かんでいるようです。

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ここから近道をして山道を上り、アギア・トリアダ、アギオス・ステファノスに向かいます。

残念ながらアギア・トリアダは休館。

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アギオス・ステファノスはなんとか昼休み前の13時前に入ることができました。

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ここからはカランバカ市内を見下ろすことができました。

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外の仮設の売店で搾りたてのオレンジ・ジュースをもらい、カランバカへ降りる道を尋ねました。

説明によると、アギア・トリアダから右手に回り込んで降りていく道があるとのこと。

最初はサインも何もなく、右手へという言葉を信じてけもの道のような小道を進んで行くと、途中から道がひらけてきました。

山道のハイキングで30分強で麓まで辿り着きました。

結局、前日のお世話になった広場のタベルナに行ってアムステル・ビールでムサカとギリシャ風サラダをゆっくりと食事。

夕方4時過ぎ宿へ戻り、シャワーを浴びてテラスでくつろいでいるうちに、いつの間にか眠り込んでいました。