la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

ギリシャ:アテネ~ナフプリオン~エピダウロス 1997年夏 (永遠の場所 4)

[Aug.01]

朝8時出発のカランバカ→トリカラのバスに乗る。30分ほどで到着し、9時発のアテネ行きに乗り換えた。

トリカラからアテネへの道は、途中山道はあったものの概して平地が多い。

距離は長くても、イグメニツァからカランバカの道のように山あり谷ありでない分順調にとばし、トリカラから5時間かからずにアテネに到着しました。

市バスに乗って中心部のシンタグマ広場へ。

今後の旅の準備として、アテネからローマへの片道航空券と、サモス島行きのフェリーのデッキの切符を手配。

島へのフライト、フェリーのキャビンはすでに予約満杯で、残った選択肢の中からサモス島行きのデッキ・チケットを選びました。

夕方からプラカ地区をぶらつき、6時頃めがけてアクロポリスへ上りました。

前門を抜け見上げたパルテノン神殿は「これが本家本元か」が第一印象。

パルテノン神殿

アクロポリス(高い丘の上の都市)というだけあって、ここからはアテネの360度アテネの景色が思いのまま。

日が傾きかける8時頃までゆっくりしました。

アクロポリスからの眺望

19世紀頃の家並みがそのまま保存されているプラカ地区。細い通りの両脇に並ぶ土産物屋は楽しませてくれて見飽きません。

アクセサリーは豊富だし、革のカバンも安い。夕食はキダシオネン通りのタベルナで、ビール、ワインにザジキとスブラキ。

土産物屋はアドリアノウ通りが楽しかった。その晩はアテネ陸上の前夜祭?で花火があがりました。

[Aug.02]

次の目的地はペルポネソス半島のナフプリオンという港町です。

アルゴリコス湾に面したリゾート地で、夏に古代ギリシャ劇が上演されるエピダウロスへのアクセスにも便利な場所です。

バスターミナルから9時半発のナフプリオン行きに乗り込みます。

最初はかなりの渋滞でしたが港を過ぎた頃から流れ始めました。

途中コリント運河を越えてペルポネソスへ入りましたが、確かに「ギリシャの偉大なる田舎」という表現が納得できる風景が続きます。

お昼過ぎ1時頃に到着。夜のエピダウロスの観劇と往復のバスのチケットを購入。

宿は混んでいましたが、シンタグマ広場の角のホテルの屋根裏部屋を確保。

旧市街の南の小高い丘にはアクロナフプリア要塞跡が望めます。

アクロナフプリア要塞跡

水着に着替えてビーチへ向かいます。

港を左手に岸伝いにひたすら歩き、岬を回ってさらに歩き続けてビーチに到着。

ナフプリオン 岬

砂浜は狭いので岩場のはしごから海に入りクールダウン。

ホテルに戻ってシャワーを浴びて後、涼みながら19:30出発のエピダウロス行きバスを待ちます。

バスは20時半頃にエピダウロス野外劇場に到着し、左手上方に席をとりました。

収容能力1万2~4千人がほぼ満席の状態。

エピダウロス劇場

エピダウロス劇場_葉書

(葉書)

この日の演目は「メディア」。21時を15分程回ってから開演。

照明がいっせいに落ちて黒い服を着た女性が出てきて話し始めます。

劇場の最も上の方にいても舞台で話される肉声がクリアに聞こえてくる。

大筋しか知らないためどのように劇が進行しているのかよく理解できませんでしたが、野外パーフォーマンスとしては楽しめました。

なにしろ上空は満天の星。照明が落ちるまでうるさかった蝉や虫の声も小さくなった様子。

そして、ただ屋外というのではなく山の中です。

メディアは真紅の衣装。照明は薄緑が中心で、白い服装の女性達が脇を添えています。

音楽は太鼓と笛が中心で、人のセリフも怒声、金切り声、裏声等、普通でないしゃべり方が多かった。

当初はカメラのフラッシュがまぶしかったのですが、一段落すると客先の光はタバコのみとなりました。

約2時間でクライマックス、メディアが中空に浮かぶ中、夫のイアソンが苦悩の雄たけびをあげて終演。

帰りのバスは、メンバーがそろうのに時間がかかったこと、駐車場から出て道が順調に流れるまでにも長かったので、ナフプリオン到着は夜中の1時でした。

[Aug.3]

アテネに戻ってサモス島行きのフェリーに乗船する日。

8:10発のアテネ行きバスに乗り11時前に到着。

この日のアテネは国立考古学博物館のみ訪問し、15時過ぎにオキニア広場から地下鉄に乗ってピレウスへ。

フェリーはすぐに見つかり乗船。出港予定より一時間半以上前の時点かなりの人数が乗り込んでいました。