イスタンブール~ホテル・ペラパレス&ボスポラスクルーズ (永遠の場所 25)
翌朝頭痛で目を覚まし、ラキの飲みすぎによる二日酔いと気付きました。
それでも朝食を採ってホテルをチェックアウトし、新市街へ向かうべくトラムでガラタ橋の旧市街側ふもとに位置するエミノニュ地区へ。
ガラタ橋の上は釣り糸を垂れる人達でいっぱい。バケツの中を見ると結構釣れている様子。
新市街に着くも、地下ケーブルカーの"チュネル"乗り場がわからないので仕方なく徒歩で坂を上ります。
ガラタ塔に寄って9階からイスタンブールの景色を楽しんだ後、迷いながらもようやくチュネル広場へ。
そこからホテル・ペラパレスまではそれほど苦労せずに辿り着きました。
1883年にパリとイスタンブールを結ぶ豪華列車オリエント・エクスプレスが開通すると、ヨーロッパの多くの著名人がイスタンブールを訪れるようになり、そうした人々の宿泊先として1892年にオープンしたのがホテル・ペラパレスです。
当時は最高級のホテルで多くの著名人が宿泊しています。
最もよく知られているのは英国の推理小説家アガサ・クリスティで、彼女が定宿としていたこのホテルの411号室で「オリエント急行殺人事件」が執筆されたといわれています。
トルコ共和国建国の父アタチュルク、作家ヘミングウェイ、第一次大戦中の美人スパイのマタハリ、日本からは乃木大将も滞在しています。
着いたのは12時前でしたが、チェックインさせてもらい部屋にも通してもらいました。
部屋は209号室。一泊朝食付きシングルが140US$でした。
部屋は、入口のスペース、リビングのスペースも広々としています。バスルームも同様で、広いバスタブがありました。
由緒あるホテルだけあって、アンティークな雰囲気とゆったりした空間が楽しめました。
その日の夕食後はこのホテルの「オリエント・バー」で一杯。かつてマタハリもここで時間を過ごしたであろうと思いを馳せました。
チェック・イン後、ボスポラス・クルーズのためにフェリー乗り場へ。行先はイスタンブールのアジア側訪問をかねてカドキョイにしました。
カドキョイでは、1919年創業でアジアサイドで最も古いレストランといわれる「ヤンヤル・フェフミ」で昼食を採りました。
途中シンナーを吸う少年達を横目に見ながら、幾らか迷った末に到着。
ピーマンのドルマはなかなか美味。仕上げはトルコ・コーヒーで満足。
フェリーは行きは新市街カラキョイから乗りましたが、帰りは旧市街のエミノニュ行きにして、歩いてガラタ橋を渡り、チュネル、トラムを乗り継いでタクシム広場に戻りました。
当初の旅の目的 ①ハマム ②旧市街名所 ③ベリーダンス ④ホテル・ペラパレス ⑤ボスポラス・クルーズ をこなすことができて大満足の三日間でした。
ただ翌朝のドイツへの帰国フライトがオーバー・ブッキングで、あわやその日の帰国は叶わなくなりそうに。
ゴリゴリねじ込んだ結果、チェックイン終了時までにカウンターに来なかったビジネスクラスの乗客の席を貰って乗り込みました。
仕事がなければ、「ホテル代を負担します」という航空会社の申し出を直ぐに受けていたでしょうが、長期出張中だったのでそうもいきません。
胸をなで下ろしました。