フリオ・ロメロ・デ・トーレス (絵の採掘坑 18)
もうかなり前のこと、学生時代にスペインを旅しました。
まずバルセロナに入り、マドリッド、トレド、アランフェスと回った後、アンダルシア地方のグラナダへ。
その後アルヘシラスからジブラルタル海峡を隔てたアフリカ大陸のスペイン領セウタに渡りました。
再度アルヘシラスに戻って更にコルドバ、セビーリャと旅してポルトガルに入りました。
イスラム教とキリスト教の二つの宗教が同居するメスキータが印象に残っています。
イスラム教のモスクとして8世紀末に建設され、その後13世紀にキリスト教徒がコルドバを再征服するとカトリック教会の教会堂に転用されました。
そして16世紀のカルロス1世の治世にモスク中央部にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の聖マリア大聖堂が建設されました。
モスクの名残の紅白アーチを歩いている時に大聖堂の方からハレルヤが突然聞こえてきて複雑な気分になったこと、
メッカの方角を指し示すミフラーブのアラベスクが素晴らしかったことを思い出します。
そして、通りの売店に置いてあった画集に目が留まり、その画家の絵が見たくなってフリオ・ロメロ・デ・トーレス美術館を訪れました。
ロメロ・デ・トーレスはコルドバが産んだ20世紀の画家です。
1874年にコルドバで画家の息子として生まれ、美術や絵画に囲まれて育ちました。
1906年、イタリア、ベルギー、フランス、英国などヨーロッパ各国を旅し、象徴主義のスタイルを身に着けてスペインに戻り、マドリッドで仕事を始めました。
「アンダルシアの聖母(Nuestra Senora de Andalucia)」と呼ばれるこの絵は、旅行の翌年、1907年に描かれた、彼の最も有名な作品の一つです。
本作品は祭壇画として描かれています。
画面中央にいる白いドレスの女性はアンダルシアの女性を神格化したもの、彼女の左右に跪き服従の姿勢を示しているのは当時有名なフラメンコ歌手とダンサーでいずれも民俗文化を象徴しています。
隣にギターを持って立つ男はフラメンコ音楽を擬人化したもので、手前右下に描かれた第五の人物は画家自身です。
五人とも視線をこちらに向けています。
垂れこめた雲の下に浅葱色の空がのぞき、後景の草原には愛と死のシーンが小さく描かれています。
また、1909年に描かれた「アンヘレスとフエンサンタ(Angeles y Fuensanta)」という、二人のアンダルシア女性の肖像画があります。
窓台のそばに腰かけた左側の白いブラウスの女性はアンヘレス、肖像が描かれたメダイヨンを持っています。
右側の黒いドレスの女性はフエンサンタ、開かれた手紙を持っています。
手紙もメダイヨンも、遠く後ろの川の岸辺に立つ若い男性との関係を仄めかしているようでミステリアスです。
二人の女性の間には会話は無く関係性が認められないので、各々が個別の肖像画としても成り立ちます。
ロメロ・デ・トーレスが描く女性は情熱的な黒い瞳で強くこちらを見つめてきます。
いずれの絵も背景は暗く重苦しいのですが、神秘的で、強く惹きつけるものがあります。
イタリアとスペインを旅してみて、同じ情熱的な国であっても、イタリアには明るさと光を感じるのに対して、スペインには暗さと影を強く感じました。
スペインで描き続けたロメロ・デ・トーレスの作品からはその暗い情熱が迸り出ているように思います。
自分がなぜこの二つの作品の絵葉書を選んだのかはもう思い出せませんが、暗い背景の中の浅葱色の空や、エメラルドグリーンの川の色に魅かれたのかもしれません。
ロメロ・デ・トーレスは第一次世界大戦にパイロットとして参戦、戦後はマドリッドの美術学校で衣類デザイン部門の長を務めました。
彼はヨーロッパ内で有名になり、アルゼンチンでの展覧会も大好評で、ブエノスアイレスへも旅しています。
1930年に病で倒れ、療養のためにコルドバに戻ります。
そして、彼の最後の、最も有名な作品「火の番をする女(La chiquita piconera)」を描き、数か月後に亡くなりました。