la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

大雪 2014年2月8日- 8 Hours Trip to Home (センス・オブ・ワンダー 11)

2月の初めに仕事で欧州へ出張し、2月8日の土曜日に帰国しました。

関東は大雪で、成田空港から帰宅するのも長旅となりました。

飛行機が成田空港へ着陸するまで日本の天気については気にしていませんでした。

飛行機は着陸態勢に入ったものの、前の飛行機との間隔が短いためそのまま着陸できず、再度旋回して着陸することになりました。

再アプローチに余分に30分程かかったのですが、その間かなり揺れたので、これまで飛行機酔いをしたことがない自分が気分が悪くなりました。

本来なら15時20分到着の予定が16時近くになり、荷物を引き取りリムジンバスのカウンターに向かうと「全て運休」との表示が。ここでようやく事態が呑み込めました。

都心に向かうには、JRか京成を使うしかなく、地下鉄への接続と、JRに比べると京成の方が非常時にも運行しているとのイメージから、職場の同僚と、京成のスカイアクセス特急を使って帰ることに決めました。

スカイアクセス特急は16時44分発車の予定でしたが、入線まで30分ほど待たされて乗ったものの信号故障で運休。

京成本線の各駅停車の電車に乗り換えることになりました。

いくらか待たされて出発したものの、徐行運転で暫く走ったのち、18時半頃船橋競馬場手前で立ち往生。

中山駅でポイント故障が発生した由。電車は船橋競馬場駅に入って停車。19時頃、京成本線運休となりました。

この時点では総武線も運休しており、ポイント故障の修理・京成本線の運行再開を待つしかないと腹を決めました。

車内がかなり暑くなってきたのでドアを開けて換気。外は吹雪で車内に冷気が吹き込んできてだんだん凍えてきます。

じっと車内で待ちますが、諦めて電車を降りていく人達も出てきました。

20時。依然として進展なし。

20時半。復旧の目途立たず。一方、総武線が動き始めたとの情報。ただ、最寄り駅の東船橋駅までの足はなし。

アナウンスのニュアンスがだんだん「復旧の目途が立ちそうにないのでJRへの乗り換えをお奨めします」とのニュアンスに変わってくる。

一方で「但しJR最寄駅までの足はありません」との説明。要は「自己判断で動いて下さい」ということか。

もう21時。総武線東船橋駅へ向かう手だてを探ることにして京成船橋競馬場駅を出る。

申し訳ないけれども困り切った外国人観光客達にしたあげられるのはアドバイスだけ。

流しのタクシーがつかまる可能性は薄く、近くにあるホテルの前には既に長蛇の列が。

雪中行軍をする腹を決め、京成船橋競馬場駅で総武線東船橋駅までの道が書かれた地図をもらい、同じ考えの人たちと共に吹雪の中荷物を引いて歩き始めました。

雪道でブリーフケースを乗せたキャリーケースを引っ張るのはかなりの重労働。左手右手と何度も持ち替えながら、30分程もくもくと歩き続け、JR総武線東船橋駅に辿り着きました。

改札を通るとちょうど上りの電車が発車したところで、吹き出る汗を拭きつつ次の電車に乗るべくホームへ降りるエレベーターを待っていると、次の電車は雪のため手前の津田沼駅に入線できず運転停止とのアナウンス。

22時前。まだ地下鉄の終電には間に合うので、改札階で一緒に歩いてきた人たちと話して待つうちに、10分程して運転再開のアナウンスが。

22時過ぎ、ようやく総武線に乗ることができました。

錦糸町で地下鉄に乗り換えたのが22時40分過ぎ。自宅最寄り駅に着いたのが23時40分頃。

23時50分過ぎの深夜バスに乗り、最寄りの停留所で降りると目の前は東船橋よりも深い雪道。

最後の力を振り絞り、雪をかき分け進みました。我が家にたどり着いたのは深夜を回っていました。

成田空港から8時間以上の道程でしたが、外で夜を明かすことなく家に帰りつけてほっとしました。

後で聞いたところでは、京成本線が動き始めたのは翌日曜日の昼頃とのこと。京成を離れる決断をしたことは正解だったようです。

ただ、翌日ネットの投稿を見ると、あの後、夜の京成電車の中では見知らぬ人たち同士が酒盛りをしていた様子。

それはそれで楽しかった?

ちなみに、同日我々よりも少し早めに成田空港に到着した同僚がいて16時過ぎのスカイライナーに乗って帰れたとの事。

30分の違いが明暗を分けたようでした。