la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス -1 (絵の採掘坑 7)

ドイツに約二年半滞在していた頃、妻と美術館巡りをして、ドイツやネーデルランドの画家の絵を数多く見ました。

そのころに初めて知った画家にヘールトヘン・トット・シント・ヤンスがいます。

我々お気に入りのこの画家について紹介しましょう。

ヘールトヘン・トット・シント・ヤンスは15世紀後半に北ネーデルランド(現在のオランダ)のハールレムで活躍した画家です。

長くて変わった名前ですが、彼の名前のシント・ヤンスというのは「聖ヨハネ」を、ヘールトヘンは「小さなヘラルト」を意味しています。

彼はハールレムの聖ヨハネ騎士団修道院の一員であったので、名前もここに由来しているとのこと。

聖職にはついていませんでしたが、修道院のために主祭壇画を描きました。

16世紀宗教改革期の聖像破壊運動の結果、15世紀のオランダの作品はあまり残されていません。

ヘールトヘンについても、残念ながらあまり多くのことは知られていないのです。

1460年頃ライデンで生まれ、1490年頃にハールレムにおいて28歳ぐらいで亡くなったとされています。

作品数は少なく、彼の手になるものとされているのは十数枚にすぎません。

風景描写に秀でていたとされるハールレムの画家アウワーテルの弟子であったそうですが、この師についてもほとんど不明で確実な作品も一枚のみです。

ヘールトヘンは、ハールレムの聖ヨハネ騎士団のために磔刑の三連祭壇画を描きました。

残念ながら、中央の「キリストの磔刑」は失われ、今は右翼の表裏を飾っていた二枚のパネルしか残っていません。

その内面の「キリストの死への哀悼」、外面の「聖ヨハネの遺骨の焼却」はウィーンの美術史美術館に収蔵されています。

主祭壇画のためのこの二枚を除くと、残されている彼の作品はほとんどが小品です。

彼の描く聖母や女性はみな柔らかい卵型の顔をしており、この優しく穏やかな女性像が彼の作品の大きな魅力の一つになっています。

また、彼の描く風景は、樹や芝生の柔らかな緑によってとても瑞々しいのです。

彼の限られた作品の中から個人的な好みで選んだのが下記の3作品です。

■「ロザリオの聖母」(ロッテルダム:ボイマンス・フォン・ブーニンヘン美術館)

シントヤンス1

幼子を抱く聖母マリアが幻想的な光の中に浮かび上がるとても愛らしい作品です。

26.8 x20.5cmの小さな作品ですが、よく見ると、聖母子の回りを天使たちが三重の輪になって取り囲んでいるのがわかります。

聖母は冠を戴き、打ち負かした竜の上に乗っています。

マリアは顔のみならず身体までが卵形をしていて、聖母子を浮かび上がらせる光の輪、天使たちの輪も楕円形です。

最も内側の天使の輪では六つの翼を持つケルビムとセラピムが舞っています(ちょっと不気味ですが)。

中央の輪には、受難のシンボルである十字架、茨の冠などを持つ天使たちが見られます。

そして外側の輪には、奏楽の天使たちが様々な楽器を奏でています。

描かれている楽器も様々で、リュート、トランペット、ビオラ、ハンド・ベル、ハープ、ドラム、更に鍵盤楽器を弾いている天使もいます。

そして見落としてはならないのは、幼子イエスが両手に鈴を持って鳴らしていることです。

楽天使たちの音楽を指揮しているようですね。

見ていると、聖母子の放つ赤い光の輪に包み込まれ、暖められるような感じがしてくる不思議な絵です。

■「夜の降誕」(ロンドン:ナショナル・ギャラリー)

シントヤンス2

卵形の顔の初々しい聖母マリアが生まれたばかりの幼子イエスを優しく見つめています。

イエスが下から放つ光は、マリアの顔や手、天使達を明るく照らし、牛とロバ、そしてヨセフをぼっと赤く浮かび上がらせています。

天使達は、落ち着いて手を合わせるもの、「まあっ」と驚きの表情をうかべるもの、そして恐る恐る覗き込むものとそれぞれで、いずれの表情も愛らしい。

遠くでも天使が、夜番をする羊飼い達に神の子の誕生を告げています。

漆黒の空に浮かぶこの天使は、もうひとつの小さな光源となっています。

この絵の明暗表現。彼は、ロレーヌのラ・トゥールやオランダのレンブラントより一世紀以上も前の画家です。

上に紹介した「ロザリオの聖母」にしろ「夜の降誕」にしろ、どちらも観る者を穏やかな「ほわっ」とした気持ちにさせてくれます。

■「荒野の洗礼者ヨハネ」(ベルリン:絵画館)

シントヤンス3

洗礼者ヨハネが頬杖をつき、小川の流れる野原に腰をおろしています。彼はひとり物思いにふけっています。

「憂鬱質」のポーズをとるこのヨハネの人物像に刺激を受けて、ドイツの画家デューラーが版画「メランコリアI」を描いたのではないかと言われています。

この絵の大きな魅力は、ヨハネの後ろに幾重にも深く広がる緑の風景です。

ヨハネの背後には神の子羊が座り、その少し先には楽しそうに遊んでいる兎たちが見えます。

小川を挟んでその先にも林が広がり木陰では馬が休んでいます。そして黄緑色で描かれた、茂った木や草花。生き生きとして活力に満ちています。

この絵においては、風景は人物に従属するものではなく、人物と対等に画面を構成する要素に発展しています。

木や草花の表現を見ていて、ファン・エイク兄弟の「神秘の子羊」の祭壇画(ゲント祭壇画)を思い出しました。

ヘールトヘンはファン・エイクの風景表現に強く影響を受けているのでしょう。

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