ギリシャ:サモス島~エフェソス(トルコ)~アテネ 1997年夏 (永遠の場所 5)
ローマ行きのついでに計画したギリシャ旅行でしたが、旅するうちに増々ギリシャが気に入ってきました。
見どころが多いこと、料理が口に合うこと、そしてゆったりと時間が過ぎていくこと等々、色々理由はあります。
現在ギリシャで世界遺産に登録されているのは17件/19カ所あり、この時の旅行では、メテオラ、エピダウロス古代遺跡、アテネのアクロポリスを訪ねました。
実はこの時訪れたサモス島にも"ピタゴラスの出身地ピタゴリオン"と"この地生誕とされる女神ヘラを祀るヘラ神殿"という世界遺産に登録されている場所があるのですが、そのことを知ったのはずいぶん後のことでした。
サモス島はエーゲ海の東部、トルコの沿岸にある島です。
トルコのエフェソスへの日帰りツアー以外は、この島の美しい海岸でゆっくりのんびりと過ごしました。
[Aug.3-4]
ピレウスからの出航は一時間近く遅れ19時近くに。デッキで横になってとにかく眠る。
寝袋が必要なほどではないもののさすがに夜は寒く、長袖を着て靴下をはいて寝ました。
フェリーは幾つもの島に寄港。朝8時頃に到着した!!と思ったらまだ隣のイカリア島でした。
車を出すのに手間どった様子でかなり長い時間停泊していました。
サモス島が見えてきてやっと港に入ったと思ったら、西側のカルロバッシという街で、そこで一時間停泊。
東側にあるサモス・タウンへの入港は午後13時近くでした。
港の前の”サモス・ツアー”で翌日のトルコ・エフェソスへのツアーの手続きをして、ついでにサモスでの宿”Pension Ionia"を紹介してもらいました。
早速バスに乗り、西へ30分程のツァマンドゥ・ビーチへ。
(葉書)
ここはガイドブックに水が透明できれいと紹介されている海岸。その通りでしたが魚は一匹しか見られず。
難は砂浜ではなく石浜であること。しばらくのんびり過ごした後17時頃切り上げてサモス・タウンへ戻る。
夕食は港に面したタベルナで500mlのサモス・レツィーナでギリシャ風サラダとガーリック風味の魚(Dogfish/ツノザメ?かCodfish/鱈)のメニュー。
魚は非常においしく、周りの客も僕が頼んだ魚を見て「あれを」と注文していました。
[Aug.5]
トルコのエフェソス遺跡を訪問する日。
エフェソスはイオニア(古代ギリシャ)人によって建設され、ヘレニズム時代からローマ時代にかけて様々な帝国の支配や占領を受けながらも、宗教・政治・貿易の中心として発展・繁栄した都市です。
6時過ぎに起床。7時過ぎにサモス・ツアーにパスポートを持ち込みます。
パスポートに出国のスタンプを押されて、細長い紙のカード2枚とともに返されます。
フェリーは8時に出港し9時半にトルコのクサダシという港町に入港。
ガイド歴25年という年配のガイドに率いられ、ドイツ人2人、ギリシャ人5人と僕の合計8人でエフェソスへのツアーに出発。
まずは近郊のアルテミス神殿跡を訪問。
アテネのパルテノン神殿を上回る規模の神殿があったそうですが、現在その跡地には復元された柱が一本発っているのみでした。
ガイドの話によれば、昔はエフェソスは海に向かって開かれていたそうで、日中は海からの風、夜は山からの風でとても快適であったらしいです。
夜は海へ向けて灯りをともしたそうです。紀元1世紀から6世紀へかけて6回もの地震に見舞われて再建されたとも聞きました。
紀元1世紀には床屋もあったとのこと。
目抜き通りであったクレテス通りを下ります。観光客でいっぱいです。
エフェソスの中心にあるのはセルシウス図書館。
ローマ時代、アレキサンドリア、ペルガモンとともに3大図書館に数えられ、1万2千の書物が収められていたそうです。
現在はファサード部分のみ残っています。
公衆トイレの跡もありました。60人収容できて上から水を落として消音するというアレンジもあった由。
上水道含め排水設備は整っていたようです。
大劇場は観客2万4千人を収容できたとのこと。先に訪れたエピダウロスの2倍近い収容能力です。
確かに広い。
劇場からはまっすぐに伸びるアルカディアン通りがよく見えます。
昔はこの道が海に通じていました。大劇場から昔の港までは500m。道幅は11mで両側には柱が並んでいました。
劇場の上のところには落下注意!?の立て看板がありました。もちろん現代のものです。
エフェソスの遺跡は都市が丸ごと残っていて見どころも盛りだくさんでした。
クサダシの街に戻るとトルコ絨毯の店に連れて行かれ、実演と実物を色々と見せられた後に具体的商談開始。
僕は家にこんな絨毯が敷ける部屋などないと断りましたが、ツアーで一緒のギリシャ人は交渉を始めていました。
大きいものになると制作には一年半二年かかる由。展示品には価格が数十万、百万円超というものもありました。
帰りの船は17時に出港、18時過ぎにサモス島に着き、入国手続き、手荷物検査を受けました。
[Aug.6]
夜行のフェリーでピレウスに戻る日。
サモス・ツアーに荷物を預けて9時過ぎのバスでコッカリ・ビーチへ向かいます。
コッカリはツァマンドゥの手前にあるかなり広いビーチでタベルナも土産物屋もたくさんあります。
僕は右手の外れの、少し奥まった波の穏やかな場所に落ち着きました。
ここも水は澄んでいて、目の前を魚が通り過ぎていくという感じ。
14時過ぎまで日光浴&水浴びで過ごし、シャワーを探して浴びた後、15時過ぎのバスでサモス・タウンに戻りました。
前日夕食を食べたスタンドで同じハンバーガー/ギリシャ風サラダ/自家製ワインのメニューの夕食をとり、後ろ髪をひかれながらフェリーに乗り込みました。
フェリーはイカリア島の前にフルニという小島に立ち寄りました。上空の三日月、宵の明星がきれいでした。
イカリアに着くころには真っ暗になっていて、船内の席でガイドブックを見ているうちに眠り込んでいました。
[Aug.7]
ギリシャ滞在最後の日。
翌日8日のフライトでギリシャを離れローマに向かう予定です。
サモス島からのフェリーは予定時刻より二時間半ほど遅れて入港。まずはアテネの旅行代理店でローマ行きの航空券をピックアップしました。
この日はミトロポレオス大聖堂を訪問した後、古代アゴラ遺跡を訪問。
アゴラとは「市場」という意味ですが、当時は政治/経済/宗教/文化的施設が集中し、市民生活の中心地でした。
ここにはアグリッパが建てさせた音楽堂があり、その向かいにアタロスの柱廊博物館があります。
この博物館で陶片追放に使われた陶片の展示を見つけました。
陶片追放は、古代アテネで、僭主の出現を防ぐために、市民が僭主になる恐れのある人物を投票により国外追放にした制度です。
その陶片にははっきりとギリシャ文字で、テミストクレス(ΘΕΜΙSΘΟΚLΕΕS)、アリステイデス(ΑΡΙSTΕΙΔΕS)と書かれているのを判読できた時、大変感動しました。
世界史の授業ではピンと来なかった陶片追放ですが、今から2500年前の直接民主主義の証しを実際に目の前にして、これを刻んだ市民のことをリアルに感じられました。
デナリウス銀貨、セステルティウス貨、ピロスの戦いでアテネが持ちかえったスパルタの盾などもありましたが、国立考古学博物館、アクロポリスの博物館で見たものも含め、個人的にはこの陶片が最もインパクトの強いものでした。
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翌8日の早朝のフライトでアテネを発ちローマへ向かいました。
7月29日にイグメニツァに入港してから10日間のギリシャの旅。非常に中身の濃い旅で、ギリシャがすっかり気に入ってしまいました。
その後、3年後の2000年の夏にテッサロニキとシソニア半島へ、そして2002年夏には妻とクレタ島を旅しました。
債務危機後のギリシャにはまだ訪れていませんが、ギリシャにはまだまだ訪れてみたい場所が沢山あります。
レッツィーナ・ワインでギリシャ料理を楽しみにまた行きたいと考えています。