la-musicaの美の採掘坑

自然、美術、音楽、訪れた場所などについて、「スゴイ!」「きれいだな...」「いいね」と感じたものごとを書き留めています。皆さんの心に留まる記事がひとつでもあればうれしいです。

京都~観光バスツアー (永遠の場所 28)

夏休みに帰省した機会に、足を少し延ばして京都・奈良に二泊三日で旅行してきました。

夏の京都を子供達と一緒に路線バスと電車で観光するには限界があると考え、初日は観光バスを利用して、小学校の教科書にも載っているスタンダードな観光スポットを見て回ることにしました。

初日、京都駅には朝8時半に到着。

駅前の京阪バスの定期観光バスのりば窓口で支払いをしてチケットを受け取りバスに乗り込みます。

このツアーでは ①清水寺三十三間堂 ③嵐山 ④金閣寺 の四カ所を訪問、9時に京都駅を出発し15時過ぎに戻る6時間の行程です。

この日の乗客は50名を超え、補助席にも座っていました。

最初に訪れたのは清水寺

ちょうど「千日詣り」の時期に当たっていたので、本堂内々陣を特別に拝観することができ、また「千日詣り」のお札を頂くこともできました。

「千日詣り」とは、一日のお参りで千日分のご利益が授かるとされるありがたいものです。

思い切って大きな決断をすることの例えとして使われる「清水の舞台から飛び降りる」ですが、清水の舞台から実際に飛び降りた人は結構いたそうです。

バスガイドさんから、200件を超える飛び降りがあったが生存率は結構高かったとの説明を聞き、後で調べてみました。

清水寺のwebサイトの記事によると、江戸中期から明治維新直前までに未遂を含めて235件もの飛び降りがあった由。

地上約12メートル、4階建てのビルに相当する高さですが、生存率は約85%でかなりの人が命を落とさずにすんでいます。

飛び降りの理由ですが、自殺などではなく、清水の観音さまに一心に祈って飛ぶと命も助かり願いも叶うという迷信による、願掛けだったそうです。

清水寺 音羽の滝から舞台を見上げる

千日詣りをして清水の舞台からの眺めを楽しんだ後、本堂裏手の階段を下りて、清水寺の由来となった「音羽の瀧」の霊泉で、柄杓に汲んだ清水で清めて所願成就を祈願してきました。

次に訪れたのは三十三間堂

正式名は蓮華王院、南北にのびる本堂内陣の柱間が33あるため「三十三間堂」と通称されます。

もともとは平安後期に後白河上皇が、平清盛の資財協力を得て院御所内に創建したものですが、約80年後に焼失。

すぐに復興に着手し鎌倉期の1266年に再建されました。南北約120メートルの長大なお堂です。

本堂中央に安置されるのが国宝「千手観音坐像」で鎌倉期の再建時に湛慶が同族の弟子を率いて完成させたものです。

42手で"千手"を表わし、2本は胸前で合掌、他2本は腹前で組み合わせて宝鉢を持ち、残りの38本は脇手として左右に各19本ずつ、様々な持物を持っています。

坐像の高さは3メートル超、檜材の寄木造りで全体に漆箔が施されています。

(拝観案内から)

三十三間堂 千手観音坐像立像

坐像は左右各500、計千体の等身観音立像に囲まれています。

重文「千手観音立像」は前後10列の階段状の壇上に千体の像が整然と並んでいて、堂内が"仏像の森"と表現されるのも納得される圧巻な眺めです。

各像は、頭上に十一の顔をつけ、両脇に40手を持ちます。

124体はお堂創建時の平安期のもの、その他は鎌倉期に16年かけて再興された像です。

千体の観音立像の前には、国宝の「風神・雷神」と「二十八部衆」の30体の等身大の像が安置されています。

風神雷神の図像は中国由来で、日本における風神雷神の彫像としては三十三間堂のものが最古だそうです。俵屋宗達の『風神雷神図屏風』のモデルになっています。

風神・雷神とも足の指は2本。バスガイドさんが子供向けのクイズに出していました。

二十八部衆はその多くを古代インドに起源をもつ神々で、千手観音に従って仏教とその信者を守るとされます。

等身大の像ですが、背丈、体格、形相、着衣、持物も様々でバラエティに富んでいます。

三十三間堂は本堂、千手観音坐像、風神・雷神像、二十八部衆立像が国宝、千手観音立像が重要文化財という、ハイグレードな文化遺産です。

嵐山には昼食時に着き、各自が100分の自由時間で適宜昼食をしたり散策したりというプランでした。

我々は息子の興味に沿って、まず嵐電嵐山駅で嵐電の車両を見た後、JRの車両や嵯峨野観光鉄道トロッコ列車を見にJR嵯峨嵐山駅方面へ足を延ばしました。

その後、竹林の道へ。

嵐山 竹林の道

確かに風情のある小道ですが、この時期は観光客+人力車でごった返していて思うようには歩けませんでした。

大河内山荘前を通り亀山公園の方へ抜けてからは人通りが減り、マイペースで大堰川(おおいがわ)沿いに渡月橋の方へ戻りました。

最後の訪問場所は金閣寺

正式名称は鹿苑寺(創健者である室町幕府三代将軍足利義満の法号から二字を取った)ですが、舎利殿金閣」が有名なため、舎利殿を含めた寺院全体が金閣寺として知られています。

三層の楼閣建築で、初層は平安時代寝殿造りの"法水院"、二層は武家造りの"潮音洞"、三層は中国風の禅宗仏殿造で"究竟頂"と呼ばれ、三つの様式を見事に調和させた建物です。

初層は金箔を張らず素木仕上げとし、二層と三層の外面は全面金箔張り、三層は内部も床面を除き全面金箔張りで床は黒漆塗り、中央に仏舎利が安置されています。

舎利殿は昭和25年に放火により全焼、現在の舎利殿は昭和30年に復元・再建されました。

昭和61~62年に当時の費用で約7億4千万円の総工費を投じて大修復が行われ、以前の5倍の厚さの金箔で覆われ、漆の塗り替えや天井画の復元等が行われました。

子供達は金箔張りの金閣寺を実際に目にしてインパクトを受けた様子で、色々なアングルで写真を撮っていました。

金閣寺の内部拝観はできませんが、案内所に張られた説明書きで三層内部の写真を見て、息子が"中を見たい"と声を上げました。

金閣寺

バスガイドさんから"偉くて沢山お金を持っている人なら見せてもらえるかもしれないから頑張ってお金持ちになってね"と言われていました。

参道を進むうちに「一字写経」を受け付けているのを見つけ、家族四人で一文字ずつ写経し各自願をかけました。

京都駅には午後3時過ぎに到着。

炎天下でも体力を消耗することなく効率的に有名な観光スポットを回ることができたし、車中でのバスガイドさんの話も興味深く楽しかったので、大満足のバスツアーでした。